10/27(土)桜井・宇陀の史跡を訪ねる
つどい360号
つどい360号
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今回の見学は桜井市と宇陀市が中心です。
塚口先生は、奈良県にお住まいにもかかわらず、解説の時間をとりたいからと、朝早くから蛍池までおいで頂きました。
旅行はバス車中での解説からスタートし、メスリ山古墳、桜井茶臼山古墳見学。宇陀で、宇陀市教育委員会の辻本先生が合流、人麻呂公園、かぎろひの丘、宇陀水分神社、松山地区そして最後に榛原の墨坂神社を見学しました。
塚口先生の解説を聞きながら、大和盆地を横断、JR桜井駅前で奈良・京都方面の参加者が合流しました。
メスリ山古墳は墳丘長230m、後円部三段、前方部2段の巨大前方後円墳です。4世紀中葉から後半の築造とみられています。
墳頂部の巨大な埴輪群や鉄の弓矢をはじめとする武具が出土したことで有名です。塚口先生はオオビコの子のタケヌナカワとみられています。出土品は橿考研の博物館に展示してありますので、ぜひご覧ください。
メスリ山古墳前方部北側に、移築されたころころ山古墳が有ります。6世紀末に築造された30m規模の方墳です。
墳頂部で天井石を見ながら解説を受けたいところでしたが足元が悪く墳丘の裾でお話を聞きました。
桜井茶臼山古墳は 墳丘長200m、後円部3段、前方部2段です。三世紀末から4世紀初頭に築造され、塚口先生はオオビコの墓とみられています。ぬかるんだ状態では、メスリ山古墳以上に危険と判断し、バスの中からの見学に変更しました。
かわりに、2009年に朱塗りの石室が発掘されたときの写真を紹介します。現地説明会に合わせ、歴同の現地見学会で訪れたときの写真です。
なお、天井石の中に淡路の沼島(ぬしま)産のものがあり、この写真が、南あわじ市のPR動画に使用されました。
この写真は8年前の集合写真です。
道の駅宇陀路大宇陀にあるレストラン甘羅(かむら)で昼食をとりました。足湯もあります。
辻本先生が合流され、午後の見学開始です。
まずは、柿本人麻呂の像が立つ阿騎野の人麻呂公園です。
ここでは、隣にある体育館の関連施設としてプールを建設しようとしたら、弥生時代から中世にわたる中ノ庄遺跡が検出されたそうです。
この内、薬狩りが盛んだった飛鳥時代にこの辺りに行宮のような重要な建物があったことがわかりました。そこで、建物を復元し、人麻呂の像も建立して、このような公園となりました。残念なことに遺跡の中心部分は体育館の建物の下だそうです。
人麻呂公園の北にある万葉公園かぎろいの丘に登りました。
ここにあの有名なかぎろひの歌碑が立っています。
垂仁天皇の皇女倭媛が天照大神を奉斎して、この地に4年間滞在したといわれています。このため、元伊勢と呼ばれています。毎年6月に境内の能舞台で能が興行されているとのことです。
持統天皇が、自分の和風名「高天原廣姫(たかまのはらひろのひめ」にちなんでこの山を高天原と命名されたということです。壬申の乱の際に吉野から阿騎野を通り東国に脱出したさいに個ここを通られたようです。