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第2回百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進国際シンポジウム

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つどい301号
現在大阪府(松井一郎 知事)、堺市(竹山修身 市長)、羽曳野市(北川嗣雄 市長)、藤井寺市(國下和男 市長)は百舌鳥・古市古墳群を世界遺産登録するための取り組みをすすめています。その取り組みのひとつとして12月16日(日)に森ノ宮ピロティホールに て開催された 第2回百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進国際シンポジウムを聴講してきました。  この日はまず百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議を主催する府知事と三市市長挨拶のあと推進会議事務局よりシンポジウムに先だって2日間にわたって行われた国際専門家会議の報告がなされました。
次に、白石太一郎大阪府近つ飛鳥博物館館長の基調講演が行われ、続いて世界遺産を認定するユネスコの機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)役員の韓国東国大学教授李惠恩先生(地理学)と中国精華大学教授呂舟先生(建築学)がそれぞれの国の遺産保存について講演されました。
講演の後は引き続き京都府立大学宗田好央教授(都市計画学)、稲葉信子筑波大学大学院教授(遺産保護、建築学)、岡田保良国士舘大学イラク古代文化研究所所長・教授(建築学・文化遺産学)の先生方を交えてシンポジウムが行われました。

  世界遺産に登録されるためにはその遺産が「顕著な普遍的価値」を有すると認められ、かつ「真正性」、「完全性」の条件を満たしていること、また適切な保護管理体制が取られていることが必要であるとされます。
世界遺産に認定するための評価はICOMOSが定める基準でなされるため出席された先生は白石先生以外すべて工学系の先生で占められていたのが通常の考古学の会議やシンポジウムと異なっていました。韓国李惠恩先生や中国呂舟先生の講演も遺産の「顕著な普遍的価値」を証明するのは自明のことでありさらにその遺産の価値を支える景観保護や施設の保護管理体制について重きをおいたお話をされました。

  このような観点のひとつとして主催者から「百舌鳥・古市古墳群の航空レーザー測量成果」による詳細な古墳の測量図が発表されていました。この測量図は古墳を覆う樹木の影響を除いて直接地表面の標高を10㎝レベルの誤差で測ることができる優れたものです。この測量図を見れば履中陵古墳(図3)などは古墳築造以来1600年程度経ているにもかかわらず見事に築造時の形態を保っていることがわかります。ついては登録推進本部事務局よりこの最新の測量図を掲載する許可をいただきましたので紹介させていたします。

  自然科学や工学の世界では単位系や公理公式は世界共通のルールで表記され国境を越えて評価の軸が変わりません。考古学においても最新の工学系ツールを駆使することによりその価値を一目瞭然に知らしめることができる好例と言えます。

■野中古墳の出土物

  大阪府藤井寺市野中3丁目に所在する野中古墳は、2010年に世界遺産暫定リストに記載された百舌鳥・古市古墳群のうち、古市古墳群のほぼ中央に位置する5世紀の古墳です。
この古墳は墳丘長225メートルを誇る墓山古墳に近接して築造された一辺37メートルの小さな方墳です。1964年、大阪大学文学部国史研究室によって実施された発掘調査によって、この小さな古墳には、当時の政治社会や対外交流を知るうえで、貴重な手がかりを有することが判明しました。
大阪大学考古学研究室(福永伸哉教授 百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録有識者会議委員)では当時のカラーフィルムをもとに野中古墳のHPを作成されました。
HPからは当時おこなわれた発掘調査の映像、甲冑をはじめとする鉄製品、当時非常に珍しかった土器類など、出土した数々の副葬品、そして調査によって導かれる古墳の被葬者像を伺うことができます。

野中古墳発掘調査時の映像 

(遺跡資料リポジトリ)
  各自治体や大学から発行される遺跡の発掘報告書は部数が少なく、利用が困難でした。最近これらの電子化・公開が大学図書館を中心に、関係機関との連携協力により始まっています。大阪府版は「大阪遺跡資料リポジトリ」、全国版は「(全国)遺跡資料リポジトリ」でそれぞれ検索できます。

大阪府遺跡資料リポジトリ

全国遺跡リポジトリ横断検索

■百舌鳥・古市古墳群の航空レーザー測量図

(陵墓の名称はシンポジウム資料集に記載されている名称表記をそのまま使っています。)

S1_8                                            図1 仁徳天皇陵古墳


S1_0001_2                                               図2 ニサンザイ古墳


S1_9                                                 図3 履中天皇陵古墳


S1_10                                            図4 応神天皇陵古墳


S_3                                              図5 允恭天皇陵古墳

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                                       図6 中姫皇后陵古墳

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                                            図7 仲哀天皇陵古墳

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