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伊賀国の史跡を訪ねる

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蛍池駅前出発(am8:00時)
= 中国豊中IC = 美原JCT = JR桜井駅南側ロータリー(トイレ休憩)9時30分出発 = 美旗(みはた)古墳群(馬塚) = 美旗古墳群(殿塚、女良塚(じょろうづか))= 石山古墳・比自岐(ひじき)神社 (車中より見学) = 昼食 日本料理 伊勢之家 (伊賀市) = 伊賀国分寺跡 = 中瀬IC = 伊賀一之宮IC = 敢國(あえくに)神社 = 御墓山(みはかやま)古墳 = 伊賀一之宮IC = 亀山IC = 能褒野(のぼの)王塚古墳・能褒野神社 = 亀山IC = 草津PA(トイレ休憩) = 中国豊中IC = 蛍池駅前着(pm7:00)
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本日は伊賀地域と亀山市の代表的な(三段築成)古墳を巡ります。
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つどい299号

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蛍池を予定通り出発し
■JR桜井駅前
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                    JR桜井駅前にて小休止
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         中司照世先生                                  塚口義信先生               4

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■馬塚古墳
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                           馬塚古墳045
               中司照世先生の案内がはじまった068s

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                       前方部から後円部を望む
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■女郎塚古墳
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■殿塚古墳
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周濠部は共同墓地となっている
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古墳の周辺は秋の気配がただよう。
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■石山古墳・比自岐神社
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              前方左側に石山古墳、突き当たりが比自岐神社
(参考文献)
中司照世先生の論文 『つどい297号』 3,4ページ 名張市での踏査と琴平山古墳、石山古墳の実態

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                石山古墳(最奥鉄塔の左付近)
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            木津川流域を伊賀市内へ(行政区は三重県)

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■食事処 伊勢之家
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■市内散策
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■国分寺跡
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                                   土塁跡

■伊賀国一之宮 敢國(あえくに)神社
祭神 四道将軍の一人、大彦命
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敢國神社の略史(敢國神社HPより抜粋)
当神社は今から1300年以上前に創建されました。くわしくは、7世紀の中期658年に創建と当社には伝わっています。創建当時は大彦命(おおひこみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神で敢國神社が創建されました。 創建以前のお話になりますが、当社の主神である大彦命は、350年頃第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人と云われています。 敢國神社の略史又、その子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討する役目を負われ「四道将軍」のお一人として第10代崇神(すじん)天皇の詔により日本の東目の攻略を果たされた後、大彦命率いる一族は伊賀の国にお住みになり、その子孫は伊賀の国中広がっていきました。伊賀の国の阿拝(あえ)郡(現在の阿山郡は阿拝郡と山田郡が合併してできたもの)を中心に居住した為、阿拝氏を名乗るようになり、後に敢・阿閉・阿部・安倍と呼ばれるようになりました。「あえ」とは、「あべ」の原音であり、あべ姓の総祖神でもあると共に伊賀にお住まいの方の祖神でもあります。
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■御墓山古墳
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                       A部
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                        B部
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                        C部
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■能褒野神社
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■能褒野王塚古墳
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485s

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                                  培冢
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                   能褒野王塚古墳の夕暮れ

午後7時前に無事蛍池駅前に到着しました。   

(おことわり)
空中写真は国土地理院電子国土基本図を利用しました。

    




   

             

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