堂山一号墳から悠久の古大阪平野にロマンを馳せて
つどい293号
「堂山一号墳から悠久の古大阪平野にロマンを馳せて」
―大東市立歴史民俗資料館と堂山古墳群・野崎観音を訪ねる― (会員) 阪口 孝男
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「堂山一号墳から悠久の古大阪平野にロマンを馳せて」
―大東市立歴史民俗資料館と堂山古墳群・野崎観音を訪ねる―(会員) 阪口 孝男
四月の現地見学会は、JR学研都市線(旧片町線)野崎駅の近くに、このたび新装なった大東市立歴史民俗資料館と同市指定の有形文化財である史跡で、再整備された「堂山古墳群史跡広場」です。
当日(四月二十八日)の参加者は、山口会長以下三十六名。野崎駅前に集合した一行は、徒歩で約十分、午前十時前に大東市「歴史とふれあいセンター」に到着。
職員方の案内で設備の整った多目的室に招じ入れられ、早速、館長の笠井敏光先生から約一時間半「堂山古墳群について」のご講演を拝聴致しました。
続いて「歴史民俗資料館」に移動し、同館市民学芸員の皆様による解説で、特別展示中の堂山古墳群の出土品を始め、常設展示品を、凡そ一時間、ゆっくりと見学させ
て頂きました。
昼食後、午後一時半「歴史とふれあいセンター」玄関前に集合。記念撮影を済ませ、再び学芸員方のご案内で堂山古墳群に登り一号墳から七号墳を見学した後、『野崎参りやお染・久松の悲恋物語』で有名な野崎観音(慈眼寺)に参拝。同寺の由来・縁起などについて説明を受けた後、各自、境内の自由見学を済ませ、午後四時過ぎJR野崎駅に帰着、現地で解散。見学会は無事に終了致しました。
何はともあれ快晴に恵まれた、有意義な一日でありました。
今回の現地見学会に際しましては、「歴史とふれあいセンター」大東市立歴史民俗資料館の笠井敏光館長には、超過密なスケジュールの中、豊中歴史同好会の為に格別のお計らいを賜り、又、市民学芸員の中下志津子様、松井健一様、水永八十生様に於かれましては、長時間に亘ってご親切且つ、誠意溢れる、ご対応をして頂きましたこと、
本誌上をお借りして、厚く御礼申し上げ
る次第です。
【あとがき】
今回の現地見学記は、①笠井先生のご講演内容②特別展示の出土品③野崎観音参り④堂山古墳からの眺望等、主な報告の多くを割愛させて頂きました。
これに就きましては、
① 『つどい』五月号掲載の「笠井敏光氏の講演『河内湖周辺の古墳』を聴いて」記事との重複を避ける。
② 見学当日、有料配布の図録『堂山古墳群のひみつ』で周知済。
③ 5月度の例会前「プレゼンテーション」で、昭和歌謡の名曲を採り込み一味違った画像構成で、野崎参りの雰囲気も充分感じて頂けたと理解。
④ 「堂山一号墳から見た河内平野と大阪湾」を、何とか書添えたいと考えていましたが、とんでもない思い上がりに気づき、自ずとペンを擱かざるを得ませんでした。
〝生駒山系から俯瞰する西方の彼方には、信仰としての「日想観」に、想いを致すこと自体、畏れ多いのに加え〟当日に見た、〝遠くに広がる風景を思い起こしていた私の眼前に、突然、古代が迫って来るではありませんか!〟
それは、太古からの大自然の変動と、それに抗う小さな人間の姿です。
「何万年も昔、瀬戸内海とは陸続きだった古大阪平野の風景」に続き。「九千年前頃、縄文海進によって出現した古河内湖や、古大阪湾の大海原」が。次には「縄文・弥生時代、命懸けで開発した湿田に、際限なく襲い掛かる洪水や氾濫に苦悩する人々の姿」が。将又、「二世紀後半に起こった倭国大乱で折角築き上げた領地を互いに奪い合う醜い死闘の様相」が。更には、「四世紀に、突如、ヤマトから大量の鉄を有して侵入してきた集団によって、始まった超巨大古墳の築造に鞭打たれる地域の人々の嘆き」が・・等々。
そして最後には、天空の何処からか「お前さんは、何も解ってないのに、書こうなんて烏滸がましいよ!」と云う冷ややかな
笑い声が、本当に聞こえて来たのです。
【日想観とは、西に沈む太陽を見て極楽浄土を観想する修行】
最後になりましたが、現地は、比較的近場にありますので、今回、ご参加出来なかった方々には、特別展示期間(6月中)内に、大東市「歴史とふれあいセンター」にお運び下さって、特別展をご覧頂き、堂山一号墳にも登られて、古代大阪平野へのロマンを、存分に馳せて 頂ければと、お願い申上げます。
(完)
歴史とふれあいセンター
大東市立歴史民俗資料館
住所・大東市野崎三の六の一
電話・072-876-7011