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近つ飛鳥博物館 平成24年度春季特別展 見学

6月23日(土)
近つ飛鳥博物館 平成24年度春季特別展
「王と首長の神まつり―古墳時代の祭祀と信仰―」を見学しました。

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11時00分   阪急梅田駅神戸線側売店前
11時35分   近鉄阿倍野橋駅東側改札前
11時44分   河内長野行き準急に乗車 喜志駅まで390円
12時11分   喜志駅着
12時35分   金剛バス、阪南ネオポリス行きに乗車
                    阪南ネオポリスまで260円


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               喜志駅前聖徳太子廟碑
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■ 近つ飛鳥風土記の丘
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公園内は国指定一須賀古墳群がひろがる
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公園内を15分程度あるくと博物館に至る
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さっそくオリエンテーションがはじまった
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               近傍立体地図
■主な一般展示

■仁徳天皇陵古墳ジオラマ

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手の込んだ精巧な作り込みで見応えがある。
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■ホムツワケ皇子の白鳥伝説
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ホムツワケ皇子(譽津別王)の白鳥伝説
 垂仁天皇が「ホムツワケ皇子はすでに生年30歳、髭もたいそう長く伸びたのに、なお泣いてばかりいて赤児のようだ。いつも言葉を話さないのは、どういう訳なのか。それで担当の役人で協議して欲しい」といわれた。天皇が大殿の前にお立ちになり、ホムツワケ皇子がそば近くに付き従われていた。その時、鵠(白鳥の古名くぐい)がいて、大空を飛び渡った。皇子は空を仰いで、鵠をご覧になり、「あれは何か」といわれた。天皇は、そこで皇子が鵠を見て、モノを言うことができたのを知ってお喜びになり、側近の者に「誰かあの鳥を捕まえて献上する者はいないか」といわれました。
鳥取造の祖・天湯河板拳(あめのゆかわたな)が「私めが必ず捕まえて献上いたしましょう」と申し上げた。ただちに天皇は湯河板拳に「お前があの鳥を献上すれば、必ず厚く賞賜しよう」と仰せられられた。
その時、湯河板拳は遠く鵠の飛んでいった方向を見届けていて、それを追い求めて出雲に至って捕獲し、献上しました。ホムツワケ皇子はこの鵠を手にして遊び、ついに話すことができるようになられた。これにより湯河板拳に賞賜なさり、姓を与えられて鳥取造という。
日本書紀 譽第六 垂仁天皇

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                  石棺
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                  修羅
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           馬の埋葬(河内御厨)
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            文字の普及
名前が書かれた土器(八尾市萱振遺跡)が展示されていました。
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【土曜講座】
「古墳祭祀からみた神祭り」飯田浩光学芸員のお話を聴講させていただいた。

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            飯田浩光学芸員
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■平成24年度春季特別展
「王と首長の神まつり―古墳時代の祭祀と信仰―」
ガイドブック(大阪府近つ飛鳥博物館図録57)
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白石太一郎館長は『図録』にて-古墳時代の祭祀と信仰-について判りやすく解説されています。古代の祭祀について体系だって学ぶためにはおすすめです。

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