瓢箪山古墳から心合寺山古墳へ
2011年11月26日(土)
09時35分 阪急梅田駅神戸線側売店前集合
09時52分 JR大阪駅発 環状線
10時21分 近鉄鶴橋駅発 大和西大寺行き準急
10時34分 近鉄瓢箪山駅着
瓢箪山稲荷神社(瓢箪山古墳)→東大阪埋蔵文化財センター発掘ふれあい館
(昼食)
13時02分 近鉄瓢箪山駅前発 近鉄バス→大竹バス停下車
鏡塚→しおんじやま古墳学習館→心合寺山古墳→西ノ山古墳→
好太王碑(複製:大阪経済法科大学)→愛宕塚
(花岡山古墳と向山古墳の見学は取りやめ)
16時過ぎ解散 それぞれ、近鉄服部川駅、近鉄山本駅、近鉄瓢箪山駅へ
講師:中司照世先生(元福井県埋蔵文化財調査センター所長)
当日の参加者は、中司先生を含めて26名
下の写真は心合寺山古墳での集合写真。
写真をクリックすると拡大します(以下同じ)
古代の大阪湾(河内湖)イメージは次図のとおり。図の下方にある枠が今回の見学地である。枠部分を拡大すると、当日の見学資料の図1となる。
古代大阪湾(河内湖)
瓢箪山駅横の東高野街道を南下すると、すぐ鳥居が見えてくる。日本三稲荷(*)のひとつ瓢箪山稲荷神社である。辻占い総本社としても有名。
(*)日本三稲荷は地方によって異なる
神社本殿の後ろの小山が瓢箪山古墳。説明板には全長50mの双円墳とあるが、昔の写真からは前方後円墳に見えるとのこと。(双円墳は国内では河南町の金山古墳だけといわれている)
南側墳丘の石室付近は天井石の一部が露出するのみ。説明がなければ、石室ということはわからない。
東側の駐車場より見ると古墳らしい姿がうかがえる。120度パノラマ写真のためフェンスがカーブして見えるが、実際のフェンスは一直線。
時間に余裕があったので、一部メンバーが東大阪市立埋蔵文化財センター発掘ふれあい館を訪ねた。この周辺は、縄文時代の縄手遺跡である。
建物はひれ付き埴輪の形状と色をしているらしい。外装工事中なのが残念。
ここは、各種の体験学習ができる上に、土器の収蔵状況展示室があり、自由に土器に触れる。子供たちが目を輝かせて飛び回っていた。この中から未来の考古学者が出現か。
宮ノ下遺跡(貝塚)の断面をはぎ取ったものも展示されている。
平成4年、布施駅北側の駅前再開発ビルに先立つ試掘調査で縄文時代晩期~弥生時代の貝塚が発見された
裏庭には竪穴住居が復元されている。全国の重要文化財の民家の修理を手掛ける大西康之氏が復元に携わったとのことで、まことに立派な造りとなっている。
東高野街道に面したところに縄手遺跡の説明板が設置されている。
昼食後、バスで大竹地区に移動し、まず鏡塚を見学する。またの名を腹痛山といい、6世紀初めの径28mの円墳。全長40mの前方後円墳との説もある。土採りが激しく、一見しただけでは、元の形状の推定は難しそうである。
鏡塚墳丘上より東方を眺めると、300m先に心合寺山古墳が見える。葺石が復元されているため遠くからでもよく目立つ。
心合寺山古墳横のしおんじやま古墳学習館では学芸員の福田さんから詳しい説明を受けた。館内は撮影禁止のため、ロビーの八尾市航空写真のみ。
導水施設型埴輪の出土で有名な心合寺山古墳。全長160mで中河内随一、全国で62位の規模を誇る。三段築成、周濠付きで5世紀前半の築造。後続の鏡塚との間にもう一つ首長墳があったはずとのこと。
全体が築造当時の形状に復元されており、前方部から中央部までは埴輪、葺石も復元されている。
心合寺山古墳の西側には心合寺(秦興寺)があったと伝えられる。
後円部頂上には、3基の粘土槨の位置がマーキングされている。このうち西槨のみが発掘調査れている。
前方部中央には方形壇があり、この下から木棺が発見されている。
花岡山古墳は墳丘が残っていないのでスキップし、西ノ山古墳に向かう。
畑の周囲のイノシシ除けの電線に触らぬよう前方部前に到着。ここから有志だけで竹藪の中に進入。後円部の前で、中司先生の説明を受ける。
西ノ山古墳は中司先生の実測によれば65mの前方後円墳。八尾市で一番古い4世紀の古墳で、この後に花岡山古墳が続く。
ここから大阪経済法科大学の構内に入り、好太王碑の複製を見学する。
中国にある本物より文字が読みやすいと、本物を見た人たちも喜んでいた。
向山古墳は藪が深く近寄れないためスキップし、愛宕塚古墳を見学する。
愛宕山古墳は、径22.5mの円墳。石室は全長15.7m、玄室長7m、幅2.5~3.1m、高さ3.9~4.2mで大阪府下随一の規模を誇る。墳丘上からは、夕暮れの大阪平野が一望できる。
帰路、生駒越えの古道に出て生駒山(十三峠方面)を振り返る。道標の向こうが古道「十三越街道」。
この後解散し、それぞれ服部川駅、山本駅、瓢箪山駅経由で帰宅。