『古事記』仲哀天皇の段・説話の本質
この講演は終了しました。
豊中歴史同好会の顧問としてお世話になっている塚口義信先生の講演。
10月8日(土) 午後2時~4時
堺女子短期大学名誉学長・名誉教授 塚口義信先生
歴史学からみた4・5世紀のヤマト政権と近江
『古事記』によると日本武尊(ヤマトタケル)と布多遅能伊理毘売命(フタジノイリピメ)の間の子が仲哀天皇となります。仲哀天皇は朝鮮出兵に消極的で熊襲征伐を主張します。
一方仲哀天皇の后とされる神功皇后は朝鮮出兵に積極的で熊襲征伐に否定的でした。
仲哀天皇まではヤマト王権の正当性は仲哀側にあったのですが九州南部の熊襲など日向と手を握った神功とその子応神の勢力が仲哀天皇とその子香王(カゴサカ)王、忍熊(オシクマ)王を打倒します。『古事記』では香王(カゴサカ)王、忍熊(オシクマ)王がクーデターを起こしたことになっていますが事実は逆です。そして神功・応神側の守護神が住吉神であり天照大神でした。
日本武尊は熊襲の首領をだまし討ちしますが、その後熊襲(後に隼人となる)など日向の勢力は神功・応神側の拠点となってヤマト政権を奪取するわけです。
先月現地見学にて訪れた景行天皇と針間之伊那比能大郎女(はりまのいなひのおおいらつめ)の皇子が小碓命、後の日本武尊です。近江の犬上の君と建部の君はその日本武尊の子孫です。荒神山山頂の荒神山古墳は犬上氏、膳所茶臼山古墳は忍熊王墓?どちらも三段築成、全長120M級。『古事記』に書かれていることを近江の古墳に探ります。
塚口先生の講演は後日『つどい』にて紹介いたします。
5階公民館会集会場
http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2011.html
10月22日には、近江歴史ツアーがあります。(締め切りました)
引率は 塚口先生と中司先生
http://toyoreki.way-nifty.com/blog/gentikengaku.html
豊中歴史同好会
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