三宅・川西・河合の古墳を巡る
2011年5月21日(土)
R大阪駅 8時56分発 大和路快速 加茂行に乗車(王子まで540円各自購入)
JR王子駅 9時39分着
近鉄新王子駅 9時54分発 (黒田まで250円)
黒田駅 10時11分着
コース
黒田駅--黒田大塚古墳--法楽寺--三宅古墳群を巡りながら川西町へ--面塚--
糸井神社昼食--島の山古墳--比売久波神社--河合大塚山古墳--池部駅へ
但馬駅(池部駅)==新王子駅・JR王子駅==JR大阪駅
参加者 23名
案内 中司照世先生 (前福井県埋蔵文化財調査センター所長)
つどい282号 会員 野村武司
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JR王子駅から近鉄田原本線に乗り換え黒田駅 10時11分着
田原本町の案内
黒田大塚古墳
墳丘部は削平されて小さくなってしまった
手前の舗装面がほぼ周濠部
孝霊天皇黒田盧戸(イホド)宮跡法楽寺
孝霊天皇の子は若日子建吉備津日子命にて吉備氏の祖となる
吉備津彦の陵→西条と日岡の古墳群を訪ねる
田原本町から三宅町に入る・三輪山を望む
アメノヒボコから四代目のタジマモリが三宅連の祖となる
このあたりは三宅連一族の古墳が群集する
面塚への道
観世流発祥の地
糸井神社
おかげ参り絵馬
川西町文化会館前で昼食
島の山古墳①と比売久波神社
島の山古墳②
『古事記』応神天皇の段
応神天皇妃:糸媛(いとひめ、糸井比売) - 桜井田部連島垂根女、男鉏妹
隼総別皇子(はやぶさわけのみこ、速総別命)を生む
仁徳天皇の段
仁徳天皇は異母兄の隼総別皇子を仲立ちにして、異母妹の女鳥皇女を所望されたが、女鳥皇女は皇后磐之姫命の気性が激しいのを嫌らい、隼総別皇子と結婚する。二人は倉梯山(奈良県宇陀郡大宇陀町に逃れるが、天皇の追手により宇陀の蘇邇(奈良県宇陀郡曽爾村)にてつかまり二人とも殺された。
その追討軍の将軍であった山部大楯連は殺された女鳥皇女が手に巻いていた"手玉"を奪って自分の妻のものとする。
この説話を思い起こす"手玉"が島の山古墳より出土している。
管玉は手首に沿ってゆるやかに湾曲するように加工されている
中司先生によると、古墳は外周に周濠をめぐらし、墳丘は三段築成。よって、被葬者は皇室につながる一族と推定される。
前方部粘土槨の発掘直後に、皇学館大学の田中卓先生が「被葬者は古墳名(島の山古墳)や隣接の式内社名(糸井神社)からみて、『記紀』に記載されており応神天皇の妃である『嶋垂根の女、糸井比売』であろう」と新聞紙上で指摘されており、この説が妥当とされています。そうであるならば、後円部石槨の被葬者が父の嶋垂根、前方部で今回検出された粘土槨の被葬者がその娘の糸井比売であろう、とされる。
→当日配布資料(下段),6Pを参照ください。
飛鳥川の堤に出た。後方は葛城、二上山
飛鳥川を渡る
橋を渡ると河合町保田の聚落
曾我川(南方面 葛城、二上山)
曾我川(北方面 生駒の山並)
河合大塚山古墳