熊野・伊勢の古代を探る②
10月16日 新宮ホテル-早朝神倉神社ゴトビキ岩参拝-那智滝=熊野那智大社・青岸渡寺-補陀絡山寺-徐福公園-(昼食)-神倉神社-歴史民族資料館・阿須賀神社-熊野速玉大社-御船祭<見学>-新宮ホテル
この日は新宮に連泊して、市内と那智大社を巡る。
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足が達者な有志グループは早朝5:00にホテルを出発し、徒歩にて15分程度で神倉神社に至る。ここからほとんど崖のような急勾配の階段を登ってゴトビキ岩に参った。
■神倉神社
神奈備氏(会員)サイト
■那智大社・那智の滝
熊野那智大社祭神
左 那智大社 右 西国三十三ヶ所第一番札所青岸渡寺
明治の神仏分離令までは一つでお祭りされていた
那智山郵便局。クラッシクポスト
■補陀絡山寺(世界遺産)
渡海船
渡海船で出帆した僧たち
■熊野三所大神社
古来「渚の宮」「浜宮王子社」と称され隣接の補陀絡山寺と神仏習合した社であった
補陀絡山寺に隣接
丹敷戸畔を祭る
神奈備氏(会員)サイト
■徐福公園
新宮市観光協会ガイドの会
玉置仁美さんと栗林確(ツヨシ)さん
故郷創生資金を元に整備されたという
■阿須賀神社
熊野本宮より古い鎮座とされている
阿須賀神社はたぶん土着神(国栖、戸畔?)を祭り、
あとから入ってきた徐福、神武(神功)、秦氏、忌部??が
速玉神社と川中州にて祭祀を行った?
神奈備氏(会員)サイト
■御船祭
熊野速玉大社の「御船祭」の見学は今回の旅の目的のひとつである。
塚口先生から詳細な説明をいただいた。以下その要点。
熊野結神の大祭で神霊が神輿、神幸船で御旅所へ渡御する古儀の祭礼。
午後一時頃より、開扉し宮司覆面して神霊を神輿に移し、南面して神楽を奏す。
次に出門し熊野川に至り、朱塗神幸船に神霊を移し奉る。
神幸船を諸手船が引き、さらに九隻の早船がこれを引く。
熊野川の急流をのぼり諸手舟から綱を放つと、九隻の早船の競漕に移り、
御船島を三回左から廻って乙基の川岸に着く。
ついで諸手舟にひかれた神幸船が同じく三回廻って岸に着く。
小息の後、早船、諸手舟に引かれた神幸船が再び島を左から二回廻り、
乙基河原に上陸、神輿に神霊を移し上御旅所(神輿所)に向かう。
夜陰、宮司が神霊を捧げて帰社する。
熊野速玉大社・御船祭
午後一時頃より、開扉し宮司覆面して神霊を神輿に移し、南面して神楽を奏す。
神楽鈴(剣の柄に鈴がついている)
次に出門し熊野川に至り、朱塗神幸船に神霊を移し奉る。
神幸船を諸手船が引き、さらに九隻の早船がこれを引く。
熊野川をのぼり諸手舟から綱を放つと、九隻の早船の競漕に移り、
約1km上流の御船島を三回左から廻って乙基の川岸に着く。
小息の後、早船、諸手舟に引かれた神幸船が再び島を左から二回廻り、
乙基河原に上陸、神輿に神霊を移し上御旅所(神輿所)に向かう。
夜陰、宮司が神霊を捧げて帰社する。
■神楽鈴
巫女が手にしている「神楽鈴」は剣に鈴がついている。(古代においては剣と矛は同一視されていた)
同種の矛として
・「着鐸之矛」(古語拾遺) 鐸(サナギ)=鉄製の大きな鈴を着けた矛
・「佐奈伎鈴」(諏訪神長官守矢資料館)
=薄い鉄板をメガホン状に丸め、内部に鉄の舌を吊るして鈴の形に作ってある鉄鐸
一方日本書記には
「‥‥又,猿女君の遠祖天鈿女(アメノウズメ)命,則ち手に茅纏 (チマキ)の矛肖(ホコ)を持ち,天石窟戸(アメノイハヤト)の前に立 たして, 巧みに作俳優(ワザヲギ)す。 」
・「茅纏矛肖」(日本書紀) 茅=チガヤをまいた矛の意
であり 鉄→茅纏 →チマキ に変じている。
塚口先生は天鈿女(アメノウズメ)命が手に茅纏 (チマキ)の矛肖(ホコ)を持って踊るのは再生された太陽神つまり新しい太陽が出てくることを願う儀式である。とされる。
古来より稲、葦や萱などの先の尖がった葉を持つ水生植物は僻邪(ヘキジャ)の呪力があるとされた。稲城を築く。萱の輪くぐり、菖蒲湯につかる。など
一方これらの植物の根には水酸化鉄が集まり、沈殿物を集めてタタラで鉄の生産が行われたと言われている。(この項管理人見解)