« 天之日矛(天日槍)伝説と海人集団 | トップページ | 勝福寺古墳加茂遺跡を訪ねる »

出雲における前期旧石器の発見

つどい270号
同志社大学教授 松藤和人先生

①(画面をクリックすると大きくなります)
27001

27002

27003

27004

27005

27006

27007

27008

■出雲における前期旧石器の発見
                              同志社大学教授 松藤 和人

  はじめに
 ただいま、ご紹介にあずかりました同志社大学の松藤と申します。本日は、歴史の深い豊中歴史同好会例会にお招きいただき、私の専門とします旧石器時代のお話をさせていただきますことを嬉しく大変光栄に思います。
 この会にお声がかった理由は、十分に承知しております。それは、昨年秋、マスメディアで報道された島根県出雲市砂(すな)原(ばら)遺跡の調査について、担当者から直接話を聞きたいということだろうと察します。
 今日はその話をさせていただきますが、本題に入る前に、今回の出雲での発見がどのような経緯で生まれたのかについて話さないわけにはいかないだろうと思います。

  国際共同研究と黄土ー古土壌編年
 私は、一九九二年以来、折にふれて中国や韓国の前期・後期旧石器や遺跡を数多く実見する機会をもちました。その中には、北京市郊外の周口店(しゅうこうてん)遺跡、陝西省藍田(らんでん)遺跡、山西省丁村(ていそん)遺跡、河北省許家窰(きょかよう)遺跡、馬圏溝(ばけんこう)遺跡、貴州省観音洞(かんのんどう)・盤県大洞(ばんけんたどう)、遼寧省金牛山(きんぎゅうさん)遺跡、韓国全谷里遺跡など著名な遺跡が含まれます。
 二〇〇一年から二〇〇七年まで、韓国を代表する全谷里(ぜんこくり)遺跡の年代を解明する目的で韓国人科学者とともに日韓共同研究を実施し、二〇年間にわたって繰り広げられてきた年代論争に終止符を打ちました。この研究は韓国、中国、欧米の研究者から高く評価されています。          
 この遺跡の調査では、黄土(レス)ー古土壌連続をグローバルな海洋酸素同位体比編年(MIS)に照らして旧石器が含まれる地層の年代を把握するという画期的な方法を用いました。従来、前期旧石器の年代を知るには、石器と同じ地層中に含まれる重鉱物を試料に用いて地層の放射年代を求める手法が主流でした。
 黄土ー古土壌編年は、地層中に記録された過去の氷期・間氷期という地球的規模で生じた気候変動を堆積物から明らかにし、世界標準の海洋酸素同位体比編年に同期させて旧石器の包含される地層の年代を把握する方法です。中国の黄土高原では、過去二五〇万年間におよぶ黄土ー古土壌編年のモデルがすでに確立しています。
 この年代尺度を用いますと、一〇〇万年前の遺跡であっても数万年という誤差で遺跡の年代を把握できる、という高精度なものです。そのうえ、層序学的な方法を用いますので、この方面の基礎訓練を受けたひとなら誰でも肉眼で地層を見て年代を推定できるようになります。また放射年代に対しても最も信頼性の高い「地層累重の法則」にもとづいて検証を可能とします。
 十年ほど前までは、韓国の前期旧石器を観察しても、まったく時間軸が不明なため、どの遺跡の石器も同じような顔つきに見えてなりませんでした。しかし、黄土ー古土壌編年を用いて個々の遺跡の年代を把握する方法を手にしてからは、主要な道具の変遷が時間の流れを追って捉えられるようになってきました(図1)。
 黄土ー古土壌編年は、地層そのものに過去の気候変動が化石化して残っているわけですので、遺跡が形成された時期の気候環境をうかがうこともできます。つまり、人類と自然環境との関係を長い時間の経過の中で把握し、東アジアモンスーンの長期的な気候変動の中で人類と自然環境との関係を究明することを可能とします。これは新しい研究分野を創出することでしょう。
 さらに、地球的規模で生じた気候変動史に照らして、遠く離れた地域で発生した人類史的事件を比較検討する途を拓きます。たとえば、中国とヨーロッパでどちらがさきに火を制御する方法を採用したのか、ホモ・エレクトウス(原人)やホモ・サピエンス(現代型新人)はいつごろ、どのような経路をたどってユーラシア大陸の各地に拡散したのかという人類拡散の問題にも精度の高い年代根拠を提供します。
 全谷里遺跡では、黄土ー古土壌編年を用いて最古の石器群が三〇万年前に遡り、七万年前頃まで断続的に人類がこの地を訪れては居住していたことが明らかになりました。
 また、忠清南道万水里(まんすいり)遺跡では、五〇万年前頃に人類が朝鮮半島に達し、以後五万年前頃までに少なくとも五回にわたって訪れていたことも判明しました。この遺跡は、これまで知られている朝鮮半島最古の遺跡です(図2)。
 一方、中国の長江下流域にある江蘇省和尚?(わしょうとん)遺跡での日中共同研究では、地形面研究、黄土ー古土壌編年、磁気層序を駆使して、この地に八〇万年前頃には原人が進出していたという明確な証拠もつかみました。
【図2 朝鮮半島最古の旧石器(万水里遺跡)】
【 図3 成瀬発見の玉髄製剥片 】

 韓国や長江下流域での共同調査にもとづく研究成果の一端を紹介しますと、朝鮮半島に人類が進出したルートは旧満州経由ではなく、長江下流域から氷期に干上がった黄海平原を歩いて渡来したものではないかという仮説に導きました。これは、両地域で使用された主要な道具の形態が互いに類似するという考古学的事実にもとづくものです。
 島根県砂原遺跡の発見は、こうした韓国や中国での国際共同研究の延長のもとでなされたことをご承知いただければさいわいです。わたしどもがおこなった国際共同研究については、拙著の『日本と東アジアの旧石器考古学』(雄山閣、二〇一〇年)に詳しく紹介してありますので、ご参照ください。

  出雲市砂原遺跡の発見
  発見の経緯
 二〇〇九年八月八日、筆者のもとに海外共同調査チームの主要メンバーのひとりである成瀬敏郎兵庫教育大学名誉教授から一通のメールが石器・露頭の写真とともに寄せられました。島根県出雲市多伎町砂原にある真新しい露頭面の地表下約二mの深さの地層中から、人工的に打ち割ったとみられる石片を採取したので見てほしいという文面でした。韓国や中国の発掘現場で一緒に旧石器を実見したことが、この発見につながったのです。普通の地質学者であれば気にもとめなかったことでしょう。
 写真だけでは判別がつかない点もあるので、現物を研究室宛て送ってほしい旨伝えました。同十二日、送られてきた石片を手にとって観察すると、泥砂質シルトや酸化鉄の斑紋が付着し、一部に節理面をのこす以外は剥離面によっておおわれた玉髄製の剥片と認められました(図3)。主要剥離面側には小さな打面に接して打撃錐、打瘤、打瘤裂痕が観察され、縁辺はいたって鋭利です。推測される出土地層の古さに照らして、三・五万年以前の前期旧石器時代に属する可能性が高く、まずは現地を訪れて出土した地層を確認することにしました。

予備調査
 砂原遺跡は、日本海の大社湾に面した標高二一mの海成段丘面上に立地し、本段丘面は最終間氷期に形成された関東の下末吉面に対比されます。この段丘面は、北側を国道9号の拡幅工事で、また西側を土取りにより大きく削られています。
 剥片が出土した地層を確認すると同時に、火山灰分析用試料を採取する目的で、数名の同僚を伴い、八月二三~二五日の三日間現地を訪れました。高さ二m余の真新しい露頭面の観察で、段丘構成層の上に二枚の分厚い火山灰層と三枚の古土壌層が確認されました。最初に見つかった玉髄製剥片は上から三枚目の古土壌中から発見されたものです。玉髄製剥片の表面に付着する酸化鉄の斑紋や土壌から、それを確認することができました。
 また石器包含層は崖面に沿って南側へ連続していることが確認され、最初の剥片が見つかった位置から南へ約一〇m離れた崖面から石英斑岩製石核一点、さらに玉髄製剥片、石英斑岩製剥片など計五点が次々に見つかりました。真新しい崖面の地表からは剥離痕に覆われた拳大の石英製ハンマーストーン(敲石)も一点採集され、付着する土壌からもともと泥砂質シルト層に包含されていたものとみられます。
(株)京都フィッション・トラックによる火山灰分析によれば、石器包含層を被覆する下位火山灰層は三瓶雲南テフラ(SUn、約六~七万年前)に比定されました。

本調査
 予備調査の結果を踏まえ、遺跡の性格、石器包含層の広がり、堆積環境を把握するため、九月一六~二九日の期間、海外調査の主要メンバーである旧石器考古学・地質学・地形学・古地磁気学・堆積学の専門家からなる調査団を組織し学術調査を実施しました。予備調査からわずか二週間という異例の速さで準備を整え、調査に入りました。調査には私の研究室の院生・学生、関西を中心とした研究者仲間が参加してくれました。
 本調査では、西側崖面に隣接した台地上に東西四m×南北七mのトレンチを設定し、上の地層を重機で掘削したのち、石器包含層に達すると一~二㎜ずつ水平に掘り下げて遺物・炭化物等の検出につとめ、出土遺物・礫についてはビデオ・写真撮影、三次元記録、産状計測をおこなって慎重に採り上げました。
 地層の断面図を図4に示します。トレンチ内では、予備調査時に崖面で観察された地層がすべて確認されました。ここでは石器の包含層を中心にふれることにします。
 地層の基本的な構成は、下から段丘面構成層、水成層、風成層(それぞれ二枚の古土壌層と三瓶系火山灰層)を見せ、堆積環境が目まぐるしく変わったことが知られます。なかでも火山灰層は年代を決めるうえで重要な鍵層となります。
 【 図4 トレンチ北壁地層断面図 】
下位火山灰(Ⅴa層)の直下には、遺物包含層である白灰色粘土塊を混じえる泥砂質シルト(Ⅵa層)が約一五~四〇㎝の厚さで堆積し、この層の上面は著しい凹凸を見せ、下位火山灰との層理面は不整合となっています。この層はトレンチ全域に広がっていますが、中央では北東―南西方向に走る堤状の微高地を被覆しています。
 Ⅵa層中には、平面が不規則な多角形を呈する乾裂痕が層位的に二面(乾裂面①・②)観察され、乾裂面付近から石器、破砕礫、自然礫、生痕、炭化物が検出され、これらはトレンチの中央で検出された微高地(礫堆)を中心に出土します。また乾裂面②はⅥb層との境界で観察されました。
 Ⅵb層(古土壌3)は微高地の北側だけに認められ、礫の包含量はⅥa層にくらべて目立って減少します。本層中にも乾裂面が一面観察されました(乾裂面③)。流紋岩製尖頭スクレイパー、砕片、流紋岩・玉髄製石核、破砕礫など少量の遺物が出土しました。
 石器の多くは稜や縁辺が風化・磨滅しているため、剥離面の観察が容易でなく、今後の整理で分類と点数に変動を生じることも考えられます。石材には珪化した流紋岩類(火砕岩)を主体に、玉髄(瑪瑙)、石英、石英斑岩などを用いています。
 Ⅵa層出土の石製遺物は、現時点までの整理によればスクレイパー三、ノッチ一、祖型彫器一、剥片三、砕片四、石核二、断塊・破砕礫八を数えます。
 Ⅵb層出土の石器は流紋岩製の尖頭スクレイパー一(図5)のほか、石核四、砕片一、破砕礫一からなります。砕片は、接合しませんが、尖頭スクレイパーと同一母岩とみられます。

  調査の成果と課題
 石器を包含する地層は、下位火山灰の下、海洋酸素同位体比のステージ5e(一二・九~一〇・七万年前)に形成された海成段丘構成層の上に位置します。調査時の所見では、段丘編年、古土壌編年、三瓶木次火
【 図5 Ⅵb層出土の尖頭スクレイパー 】

山灰(約十一万年前)との対比から石器出土
層準を約十二万年前と推定しました。その後の調査では下位火山灰を三瓶木次火山灰と確認することができず、むしろ三瓶雲南火山灰(SUn、約七万年前)への対比を支持する結果が得られています。しかし、この火山灰とⅥa層の境界は不整合を見せ、この火山灰の年代がただちに石器群の下限年代を示すものではありません。
 出土した石製遺物は、最初に発見された玉髄製剥片、予備・本調査で出土した剥片、石核、断塊・破砕礫からなります。ほかに縁辺の両面に並行する細い線条溝が密接する擦痕をもつ凝灰岩亜円礫一点があります。出土資料は、一部を除き風化・摩滅を受けているものの、石器・剥片・石核・砕片などから構成され、通常の旧石器遺跡で認められる石器組成と異なりません。
 石器包含層の泥砂質シルト層、古土壌層中には乾裂痕・動物生痕(巣穴、這い穴)・炭化物を伴うことから、かつて地表面あるいは地表近くの堆積環境にあったことをうかがわせ、人類が活動するうえでなんら支障はなかった生活面と判断されます。
 砂原遺跡の発掘調査は、推定される所属年代の古さから日本の旧石器学界に大きな衝撃をあたえました。いまわしい旧石器発掘捏造事件の余韻ものこり、研究者の間でもさまざまな反応が見られます。ホモ・サピエンスがつくった後期旧石器しか見慣れていない日本の研究者にとっては、砂原から出土した石器はギャップが大きく感じられるのでしょう。
 調査研究はまさに緒についたばかりであり、調査面積の狭さもあいまって資料も少なく、最終的な結論を得るまでにはなお周辺地質・地形調査を含め、発掘時に収集された各種データの解析と検討が必要です。石器群の系譜については、周辺大陸の同時期の資料との比較検討、さらには国内の資料の増加を待って検討しなければなりません。
 しかし、砂原遺跡の調査によって日本の前期旧石器時代研究の重い扉は、いままさに開かれようとしているのです。

【注】
図1の左にあるMISはMarine Isotope Stage(海洋酸素同位体比編年)の略称です。また「ka」は、kilo age(キロ エイジ)の略称で「一〇〇〇年」という年代の単位を示します。

海洋酸素同位体比編年と黄土ー古土壌編年の同期
海洋酸素同位体比編年は、深海底ボーリングコアに含まれる有孔虫殻の酸素同位体δ18O/16Oの比率の違い(酸素同位体18Oと16Oは同じ性質をもつが、質量=重さが異なる)から古海水温の変動を解明する方法です。氷期には海水面から蒸発した海水が雪や氷河・氷床となって陸上に凍結され、海水中に含まれる軽い16Oは減少する一方で、重い18Oの占める比率が増加します。深海底に堆積した有孔虫殻の遺骸に含まれる両者の比率を調べると周期的に海水の濃度が変化している(氷期と間氷期の変動)ことがわかります。有孔虫殻を含む深海底に堆積した地層の年代は古地磁気測定から得られます。
一方、中国黄土高原の黄土と古土壌層は周期的な堆積を見せ、地層の初期磁化率を調べていくと古土壌部分で磁化率が高く、黄土部分では低くなります。これは地球的規模で生じた過去の気候変動を反映します。つまり、氷期に黄土が、間氷期に古土壌が生成されます。古土壌は高温多雨環境下で生成されたものです。古土壌層が赤く見えるのは、地中に含まれる鉱物が酸化し磁性鉱物が生成されたためです。黄土―古土壌連続の年代(時間軸)は古地磁気測定、熱ルミネッセンス年代測定で得られます。
ほかに年代を探る方法にSPECMAPと称される、地球軌道要素(地軸の傾き、歳差運動、離心率)の周期的変化から氷期と間氷期が生じた年代を計算で割り出す方法があります。
深海底堆積物と陸上堆積物の黄土に反映される過去の気候変動の回数と年代はたがいに一致しますので、過去に地球的規模で生じた気候変動に起因したことがわかります。

【石器用語解説】
チョッパー 礫の一端を剥離し、片刃もしくは両刃に仕上げた最も原初的な石器。伐採・切断に適する。
ハンドアックス 西洋梨形に仕上げられた両面加工の大形石器。土掘り・伐採・動物の解体などに使用した万能石器。アフリカ、ユーラシア大陸西部の前期旧石器時代アシュール文化の代表的な石器。
ピック ハンドアックスに似るが、断面が三角形 を呈し一端が鋭く尖る大形石器。刺突具、土掘 り具として使用。アシュール文化にともなう
クリーヴァー 一端が斧の刃のように仕上げられたU字形の大形石器。伐採・切断に使用。アシュール文化にともなう。
石球 全面を加工し球状に仕上げた石器。南米原住民の民俗例から知られるように二個もしくは三個を紐でつなぎ狩猟用の投擲具として使用か。アシュール文化にともなう。
スクレイパー 剥片の縁辺に二次加工を施して直刃・凹刃・凸刃の刃部をつくりだした石器。切削や動物の解体に使用。
ノッチ 剥片の縁辺を打撃して凹状の刃をつくりだした石器。木柄などの整形に使用か。

« 天之日矛(天日槍)伝説と海人集団 | トップページ | 勝福寺古墳加茂遺跡を訪ねる »