« オホクニヌシと出雲大社 | トップページ | 会下山遺跡を訪ねる »

赤坂天王山古墳(崇峻陵)

2009年10月31日(土)  つどい263
近鉄桜井駅(10:14)→桜井茶臼山古墳→宗像神社=バス=下尾口(サガリオクチ)→赤坂天王山古墳と陪冢=バス=近鉄桜井駅

案内 中司照世先生 (前福井県埋蔵文化財調査センター所長)

Photo_2

崇峻天皇は蘇我馬子によって殺された(593)
この赤坂天王山古墳は実際の崇峻陵と言われる1

B
記紀皇統譜の比較研究(H22.3.31) 皇學館大學紀要第四十八輯 荊木美行より

下尾口(桜井から10分程度)

14 Photo
バス停より多武峰方面
13

12

13_2
中司照世先生によるオリエンテーション
11

■赤坂天王山古墳
2

5

3

4

8_3

6 10

■三号墳
3_2

3_3

8

古墳より西方面
9 

.
管理人の寄り道
崇峻天皇の子、蜂子皇子は出羽国に難を逃れ(593)、羽黒山にて蔵王権現を感得出羽三山を開き羽黒派修験道の祖となる。役の行者が蔵王権現を感得し吉野山を開くのは約80年後のことである。この伝承が事実とするならば「蔵王権現を感得する」という行法を蜂子皇子に伝えたのは誰なのか。皇子の逃避行に多くの支援者がかかわっていたことが推測される。
B1_3
記紀皇統譜の比較研究(H22.3.31) 皇學館大學紀要第四十八輯 荊木美行より
湯殿山本宮(2007.7.6)
Photo_4

Photo_3

石室内には無数のたまゆらが写っていた
Photo_5

.

« オホクニヌシと出雲大社 | トップページ | 会下山遺跡を訪ねる »