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日本神話の構造と特質

つどい265号
堺女子短期大学准教授 水谷 千秋先生

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■日本神話の構造と特質               

堺女子短期大学准教授 水谷 千秋

一 『記・紀』神話の特色
『古事記』『日本書紀』(『記・紀』)の神話には、さまざまな研究分野からアプローチが為されている。この書物が成立した過程を実証的に解明しようとする古代史学(文献史学)の研究、他民族の神話と比較分析する比較神話学・文化人類学的な研究、その漢字表記を分析する国語学・国文学的な研究、完成された文学作品として読み取ろうとする近年の国文学研究の一方向など、実にさまざまである。  
 大著『日本神話の研究』を著した神話学者松村武雄は、日本神話の特徴として三点を挙げた。ひとつは、各段の説話がばらばらに独立した説話ではなく、すべて時間的・因果的に縦につながり、物語が世代か
ら世代へと順序を追って結び付けられ、長いひと続きのストーリーとなって、人代の巻に流れていること(古史神話)。第二に、神々が超自然的性格のほかに人間的首長らしい性格を持ち、天皇家の祖先や氏族の始祖に結び付けられており、現実的な存在であること。第三に、それらの説話が窮極的には皇祖神天照大御神に結び付く内容となるよう、全体が整然と配列されていること(王権神話・政治神話)である。 
 たしかにそこに現われる神々は恋愛をしたり憎しみ合ったり、時に愚かなこともしたりする人間的な存在である。しかしそれらの神々は、最終的には現実の王権の由来や正統性を示す意味を持っている。こうした特色は、『記・紀』神話が民間に伝えられてきた神話を素材に手を加え、巧みに歴史的構成を施したものであることを示唆しているといえるであろう。
 我々はしばしば『古事記』と『日本書紀』をまとめて『記・紀』と称し、『記・紀』神話と呼ぶけれども、実際には両書には差異もいろいろある。古く本居宣長が『古事記』をやまとごころの書、『日本書紀』をからごころの書と評したことは有名だが、神話の部分に限っても『古事記』には一貫したストーリーが志向されているのに対して、『日本書紀』は頻繁に異伝(一書)を引用している違いがある。また冒頭に『古事記』は造化の三神とよばれる天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を挙げて、いわば日本自前の世界創生を説くのに対し、『日本書紀』は漢籍を利用して世界の創生を説く。他にも神々の住む天上世界を『古事記』は日本独自の「高天原」と名付けたのに対し、『日本書紀』は国際的にも通用する「天」という一語で表記した。『古事記』が出雲神話を多く収録されているのもその特色と言える。
二 「ことよさし」と『記・紀』神話
 今回私が重視したいのは、『記・紀』神話、とりわけ『古事記』神話の全体構造において、「ことよさし」(権力の委任)が重要な役割を果たしているという事実である。まず『古事記』冒頭に現われる天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神など「天神」が、イザナギ・イザナミに対し、「この漂へる国を修(をさ)め理(つく)り固(かた)め成(な)せ。」との「ことよさせ」をする。これを受けてイザナギ・イザナミはこの「大八嶋」とよばれる国土を生みだした。二神はのちに離別するが、そののちイザナギが天照大御神・月読神・スサノオを生む。そして天照大御神には高天原の統治、月読神には夜の食国・スサノオには海原の統治を「ことよさせ」する。かくして高天原を統治した天照大御神が、孫の邇(に)邇(に)藝(ぎの)命に対して、地上に降臨してこの国を治めるようにやはり「ことよさせ」をするのである。これが天孫降臨である。 
 このように『古事記』では都合三度、いずれも重要な節目の時に必ず「ことよさし」が行われる。最初の「ことよさし」では国土が形成され、二度目は天照大御神による高天原の統治が保障され、三度目は天照大御神の子孫による国土統治が保障される。こうした構造は、おおよそ『記・紀』両書に共通するが、『日本書紀』よりも『古事記』により顕著に発見される。

三 『記・紀』の神々と神社で祀られる神々
 古代日本において「神」として総称された存在は、私見では三種に分類できる。①『記・紀』に神として現れる神。②神社で祀られている神。③宮中で祀られている神。このうちひとつだけに該当する神もあれば、二つに該当する神、三つ共に該当する神もある。たとえば天照大御神は①と②、高御産巣日神は三つともに該当する。しかし天之御中主神は神社でも宮中でも祀られず、『古事記』の冒頭に現われるだけの存在である。反対に『記・紀』には登場せずとも、各地の神社で祀られていた神は数え切れぬほど存在したであろう。 
 津田左右吉は、『記・紀』に「~神」とあるのは「宗教的意義のあるもの」であり、「~尊(命)」とあるのは「本来、宗教的意義をもたない、即ち人としての尊称」であるという。そして「宗教上の神と神代史上の神とが同じく神として混淆せられるようになると、宗教上の神が或る家の祖先ともされるようになる」と述べている。 
 『記・紀』に現われる神の多くは、皇室や諸氏族の祖先とされる、いわば祖先神である。津田の指摘したようにこれはもともとは「~尊(命)」と呼ばれた人であって、宗教的な祭祀の対象とはなっていなかった。一方、神社などで宗教的祭祀の対象となっていたのは氏の外部にあって恐ろしい力を持つ自然神であって、これを人々は氏の守護神(氏神)として祀り、「~神」と呼んでいた。このように、祖先神と氏神は元来別の存在だったのだが、やがて両者が「混淆」せられるようになると、「宗教上の神が或る家の祖先ともされるようになる」のである。 
この場合、具体的には氏神が祖先神化する場合と、祖先神が氏神化する場合とが考えられるだろう。直木孝次郎氏は、その時期を「白鳳時代以後」と推定している。直木氏は、六、七世紀において人格神の観念が成立し、これを基盤として祖先神の信仰が生まれ、さらにそのあとに祖先神が氏の神として祀られるようになったと考えている。その時期が「白鳳時代以後(七世紀後半以後)」となるのはそのためである。  
 最後に「常陸国風土記」の夜(や)刀(と)の神の伝承をご紹介しよう。住民を使って沼地を開拓し、田を開こうとした地方豪族「箭(や)括(はずの)氏(うじ)麻(ま)多(た)智(ち)」の前に、角の生えた大蛇の姿をした夜刀の神が無数に現れ、この土木工事を妨害した。「箭括氏麻多智」は甲冑を着て神を追い払うが、しかし自ら神の祝(はふり)となって永代に敬い祀ることも誓った。そうして「願わくはな祟りそ、な恨みそ」と言って「社」を初めて設けたという。 
恐ろしい祟りを人間にもたらす自然神である夜刀の神は、このとき「箭括氏麻多智」の一族を守護する氏神となったのである。しかし、この神はこの一族の祖先神ではない。氏神と祖先神はあくまで別であることが、この伝承からもうかがえるだろう。

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