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野洲銅鐸博物館桜生史跡公園

2009年6月27日(土) 

9:00 JR大阪長浜行--9:58 野洲駅着--10:31近江バス 村田製作所行き--11:00頃 銅鐸博物館見学 --13:00頃より 大塚山古墳、桜生(サクラバサマ)史跡公園--バス--JR野洲駅
案内 中司照世先生 (前福井県埋蔵文化財センター所長)
野洲付近図
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野洲銅鐸博物館・弥生の森歴史公園
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よく整備された博物館と公園
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日本最大の銅鐸
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鳴らしてみると銅鐸は"鐘"ということが理解できた!
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大岩山銅鐸(24個の銅鐸が出土)
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出雲の強い影響力が読み取れる
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出雲の古代史を探る(加茂岩倉遺跡・荒神谷遺跡)

須恵器生産
近江国鏡村谷陶人、則天日槍之従人也(日本書記)
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昼食後、桜生(サクラバサマ)史跡公園に移動
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湖東の古墳は、四世紀後半は草津市付近が中心。五世紀後半から六世紀にかけては野洲市周辺の桜庭史跡公園付近に築造された。
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大塚山古墳
新幹線の行違え
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全長六十五メートル三段築成。広い空掘に囲まれた帆立貝形古墳
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天王山古墳
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六世紀初頭の築造九州系石室を持つ
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円山古墳
入り口側に熊本県宇土半島の阿蘇凝灰岩(ピンク石)製の刳り抜き式石棺、奥に二上山凝灰岩製の組合せ式石棺が置かれている
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甲山古墳
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継体期に任那に派遣され、帰国時に対馬で病没し近江まで搬送された近江毛野臣の墓の可能性が強いとされる
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阿蘇凝灰岩(ピンク石)石棺
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石棺は宇土半島馬門より運ばれた
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大王の棺航海実験(広報宇土)
大分・熊本の古代史を探る①②③
古墳頂上より琵琶湖(西)方面の展望
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北境は旧中仙道に接し交通の要衝であった
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野洲銅鐸博物館と桜生史跡公園を訪ねる
                              (会員) 小川 滋


 六月の現地見学は二十七日土曜日に開催され、滋賀県の野洲銅鐸博物館とその周辺の大塚山古墳、桜生史跡公園を見学してきました。梅雨時ということで博物館中心の日程が組まれたようですが、幸い上天気となりました。八時四十五分にJR 大阪駅の旅立ちの鐘前に集合。本日の参加者は引率の中司先生を含めて十八名です。
九時発の長浜行き新快速で出発。小一時間走って野洲川を渡るころ右手に三上山の秀麗な姿が見えてきます。今日の目的地はこの三上山の北方一帯です。野洲駅で下車し、バス到着までの三十分間は停留所にある案内図を前にしての史跡談議で盛り上がりました。
近江鉄道バス乗車十五分ほどで、大岩山銅鐸を記念して建てられた銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)に到着。ここで学芸
員の角さんから説明を受けました。日本最大の銅鐸の復元品を前に、銅鐸の構造、造り方を教わり、当地での発見と保存の歴史も講義を受けました。
お話によると、この博物館のすぐ横にあった大岩山から、明治十四年に十四個、昭和三十七年の東海道新幹線用土砂採取の際に十個の合計二十四個の銅鐸が出土したのだそうです。出雲の加茂岩倉遺跡からの大量出土までは堂々の日本一を誇っておりました。数では日本一を譲ったものの、ここで出土した高さ百三十四センチ強の銅鐸は今でも日本最大とのことです。ただ、発見時のお話を聞くと、銅鐸ということが分からなかったとか、国から町(当時)への返却後あちこちへ離散してしまい、いまだに二個は行方不明だとか、肝心の大岩山が今では削られて残っていないなど、残念なことが多々あります。なお、銅鐸というものは一般的に大きいほど新しいらしく、大岩山銅鐸は後期のもののようです。館内は大量の銅鐸が展示されており、銅鐸の概要がよくわかりました。著名な銅鐸のため、本物は国立博物館などにありレプリカ展示のものが多いのですが、重要文化財の実物も何点かありました。
昼食は博物館の体験学習室を利用させて頂き、楽しく頂きました。すこし暑いと思っていたら、空調が暖房になっているのを
発見するというハプニングもありました。昼食を終わり、敷地内にある古代ハス(大賀ハス)の前で記念撮影をして午後の部に出発です。
博物館の北方約八百メートル、野洲健康福祉センターの西隣に大塚山古墳があります。いつも新幹線から見ていた古墳で、実はそんな有名な古墳とは知らず、またこじんまりしたものだと思っていたのですが、近くで見ると堂々たる古墳です。全長六十五メートル、三段築成で広い空掘に囲まれた帆立貝形古墳です。前方部が造出と同じ長さしかない面白い形をしています。頂上から出土した土器が五世紀中葉と五世紀末のものがあり、中司先生のお話では五世紀中葉に完成し、五世紀末に追葬した可能性もあること、トンボ玉など朝鮮系の出土品が多いのも特徴、また、滋賀県での三段築成の古墳は、確実なところで膳所茶臼山、荒神山、ここ大塚山の三か所、若干怪しいのも加えても四か所しかなく、大塚山古墳も天皇家に係わる古墳と思われるとのことです。
大塚山古墳の頂上まで登った後、新幹線沿いに歩き、桜生史跡公園に向いました。桜生と書いて「さくらばさま」と読みます。ガイダンス施設で史跡公園概要のビデオを拝見した後、公園内の古墳を古いほうから天王山古墳、円山(まるやま)古墳、甲(かぶと)山(やま)古墳の順に見学しました。桜生史跡公園にある古墳は、現在は国道八号で分断されているが、元々
は東南の山から続く尾根上に築かれているようです。
まず天王山古墳。出土土器などからみて六世紀初頭とみられる前方後円墳で、後円部はまだ発掘されていないが、前方部で九州系の竪穴系横口式石室が発見されています。全員で頂上まで登りましたが、結構斜面が急で、下りはすべらないかとひやひやしました。
ついで円山古墳。現地の資料では直径二十八メートルの円墳との説明であったが、中司先生の見立てでは帆立貝形とのこと。確かに、頂上からみるとずっと低い所に前方部らしきものが確認できました。柵の外から石室の中も覗け、入り口から一段下がったところに石棺が見えます。入り口側に熊本県宇土半島の阿蘇石製の刳り抜き式石棺、奥に二上山凝灰岩製の組合せ式石棺が置かれています。阿蘇石は五月の現地見学会で見た奈良県桜井市慶運寺境内のピンクの石棺と同じものです。また、真の継体陵と言われている今城塚古墳の三種類の石棺材のうちの一つも同じ阿蘇石です。熊本県の宇土半島から玄界灘、瀬戸内海、淀川、琵琶湖という水上ルートで運搬されたと思われますが、数トンの重さのあるものをよく引っ張ってきたなあと感心するばかりです。出土品は銀製の耳飾りなどほとんど朝鮮製とのこと。時期は六世紀前半の古いころ。
最後に甲山古墳。これは円墳で、ここにも阿蘇石の刳り抜き式石棺が安置されており、柵の外からピンクの石棺がよく見えます。石棺の蓋頂部平坦面の幅と全幅の比率で大体の時代が分かるのだそうで、それによると甲山古墳は六世紀中葉。ここでもトンボ玉が出土しています。
湖東の古墳は、四世紀後半は草津市付近が中心でその後徐々に中心が移動し五世紀後半から六世紀は野洲市周辺が中心となっており、今回見学した古墳も五世紀から六世紀にかけてのものです。また、特に円山古墳・甲山古墳の阿蘇石製石棺、天王山古墳の九州系石室など九州との関係が強いものが多いのと、朝鮮系出土品の多いのが特徴です。三上山山麓では、明治三十一年に鏡面に魚佩金具の痕跡がある平縁細線式獣帯鏡が出土しており、これは百済の武寧王陵出土品と同型鏡とのこと。このようなことから、継体期に任那に派遣され、帰国時に対馬で病没し、近江まで搬送された近江毛野臣の墓は今日見た三か所のどれかである可能性が強いとのことです(甲山という説が多いらしい)。また、九州との関係から、筑紫の君磐井と継体が元は同盟・擁立関係にあったのではという推測も考えられ、限りないロマンを感じました。今日は行きませんでしたが、最近発見された彦根市の荒神山古墳(全長百二十四メートル、三段築成)の所在地は犬上郡であり、伝承では犬上君の祖は倭建命の子の稲依別(いなよりわけ)王なので天皇家との関係が気になるなどのお話もありました。いままで古墳というものにはあまり面白みを感じていなかったものが、今年から本同好会の現地見学に参加させていただくようになり、古墳というものは面白いものだなあと認識を改めることができました。これも中司先生の実地調査に裏付けされた軽妙なご説明のたまものと感謝いたしております。七月の佐紀古墳群の見学も楽しみです。
見学も終わり辻町バス停に到着。ここで三十分待つはずが、前のバスがちょっと遅れて丁度やってくる、野洲駅では到着して二分後に新快速発車というようなラッキーなことが連続して発生。日ごろの行いの良い皆さんのおかげで、気分の良い締めくくりました。ありがとうございました。

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