1/28(土)生国魂神社初詣と市内中心部の史跡を訪ねる

2017019

月に一度(第4,5土曜日7月、8月12月は除く)現地見学会を実施しています
会員 資料代100円~200円。
一般 資料代100円~200円+参加費500円。
交通費各自購入。他には特に定めはありません。
最寄駅から気軽にご参加ください。
一月の現地見学は1月28日(土)に行います。

生国魂神社初詣の後、高津宮、難波宮および周辺遺跡、玉造稲荷神社、真田丸を見学します。法円坂倉庫群と難波宮内裏西方官衙については大阪歴史博物館の学芸員またはボランティアガイドさんに案内していただく予定です。なお。本年度は「新年会」は実施いたしません。

20170110
20170111
201701_1024x768

1/14(土)「最後の前方後円墳大王墓」の周辺-敏達朝の未解決問題- (坪井恒彦 先生)

      ブログトップ  例会のご案内  現地見学会  会誌つどい

平成19年1月度例会のご案内

1
月14日(土)

会場   阪急蛍池駅前ルシオーレ4階 豊中市蛍池公民館第2集会場

13:00 受付開始
13:15 諸連絡
      ミニ講座 古代の大阪シリーズ第18回 会員阪口孝男
      「遣隋使とその時代背景」『随の建国と遣隋使』
14:00 講演「最後の前方後円墳大王墓」の周辺-敏達朝の未解決問題-
      講師 元読売新聞社編集委員 坪井恒彦 先生17017

17018_2

■例会・入会受付

2016

月1回 第2土曜日 入会金1,000円 会費1,000円/月(三ヶ月分前納)
飛び込み聴講  1,300円(一度当たり資料込み)
来場ができない方には会誌『つどい』、現地見学案内 などを郵送させていただきます。(つどい会員 3,000円/年間)

■会場
〶560-0033 豊中市蛍池中町3-2-1
豊中市立蛍池公民館第2集会所(ルシオーレ4階)
または 第1集会場(ルシオーレ5階)

TEL:06-6843-5561  FAX:06-6841-509

train阪急電車宝塚線蛍池駅,大阪モノレール蛍池駅
改札階はルシオーレ3階となっています。


現地見学会
月1回(8月12月を除く) 第4・5土曜日


■アクセス

継体天皇大和入りの反対勢力を考える(西川寿勝先生)

つどい347号
大阪府立狭山池博物館 西川寿勝先生

①→画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3471_4

Tudoi3472_4

Tudoi3473_2

Tudoi3474_2

Tudoi3475_2

Tudoi3476_2

Tudoi3477_2

Tudoi3478_2

Tudoi3479_2

Tudoi34710_2

Tudoi34711_2

Tudoi34712_2

Tudoi34713_2

Tudoi34714_2

Tudoi34715_2

Tudoi34716_2

12/10(土)屯倉から郡へ(荊木美行先生)

2
3
産経新聞12月10日(土)記事より
Photo

バックナンバーはこちらから

 

11/26(土)飛鳥南部の終末期古墳を訪ねる

11月26日(土)
この秋、キトラ古墳周辺地区の国営飛鳥歴史公園(キトラ古墳体験館・四神の館)が整備されました。 これを機に、壺阪山駅からキトラ古墳周辺、高松塚・中尾山周辺、伝天武・持統陵(野口王墓古墳)を経て飛鳥駅まで歩きました。 また、希望者のみ飛鳥駅西の岩屋山古墳を見学しました。
P1360764_1024x576_1024x576
                       キトラ古墳
P1360793_1024x683
                    キトラ古墳四神の館
P1360808_1024x574
                   キトラ古墳
四神の館
P1360843_1024x682
                                    
檜隈寺跡 塔柱基台

P1360872_1024x683
                     高松塚古墳P1360892_1024x683
                      高松塚古墳

P1360913_1024x683
                     中尾山古墳
P1360918_1024x683
                     中尾山古墳

P1360941_1024x683
                      岩屋山古墳
201611
20161118_2
20161120
20161119

20161122

『日本書紀』と『日本紀』の関係について(塚口義信先生)

つどい346号
堺女子短期大学名誉学長・名誉教授
塚口義信先生
①→画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3461

Tudoi3462

Tudoi3463

Tudoi3464

Tudoi3465

Tudoi3466

Tudoi3467

Tudoi3468

Tudoi3469

Tudoi34610

Tudoi34611

■塚口義信先生『つどい』論文一覧

 発行月           タイトル
10 1989年8月 神武伝説と『日本書紀』の紀年
11 1989年9月 コノハナサクヤヒメ神話の意味
12 1989年10月 ヤマト政権の成立と王権の推移
13 1989年11月 河内大王家の成立
14 1989年12月 継体大王家の成立
15 1990年1月 蘇我氏は渡来系の豪族か
24 1990年10月 謎の人物茅渟王
27 1991年1月 竹原井離宮と智識寺行宮
36 1991年10月 顕宗・仁賢天皇は架空の人物か
37 1991年11月 『古事記』と天武天皇-『古事記』成立のナゾを探る-
50 1992年12月 ヤマト政権と近江-5世紀代における湖北の政治集団と大王-
51 1993年1月 応神天皇と気比大神
61 1993年10月 大化の新政府と終末期古墳-いわゆる「大化の薄葬令」と横口式石槨墳-
65 1994年1月  「河内王朝(政権)論」の再検討(1)
79 1995年3月 神武伝説解明への新視角
87 1995年10月 武烈天皇の虚像と実像-武烈天皇は日本一の暴君か-
90 1996年1月 神武伝説と物部氏-物部氏の前身の一族の実体を探る-
91 1996年1月 桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳の被葬者を探る
101 1996年10月 尼寺廃寺北遺跡(奈良県香芝市)-研究の現状と課題-
105 1997年2月 五色塚古墳の被葬者を探る
111 1997年8月 古代豪族葛城氏の勢力圏と〝葛城〟の範囲
114 1997年11月 ヤマト政権と平群氏-5、6世紀における平群氏の勢力-
117 1998年2月 いわゆる大化薄葬令の再検討
128 1999年1月 10周年記念の言葉 「疑問」は科学の母
129 1999年2月 初期ヤマト政権と椿井大塚古墳・黒塚古墳の被葬者
133 1999年6月 『古事記』をめぐる諸問題(1)
134 1999年7月 『古事記』をめぐる諸問題(2)
136 1999年9月 『古事記』をめぐる諸問題(3)
141 2000年2月 大化の新政府と古墳-終末期古墳の被葬者を解く鍵-
149 2000年10月 神功・応神伝承と母子神信仰
150 2000年11月 『つどい』第150号記念号の刊行を祝す
153 2001年2月  応神天皇と名がえの伝承-日本古代の成人儀礼-
162 2001年11月 6世紀後半における仏教と神祇信仰
165 2002年2月 聖徳太子登場前夜の政治情勢-六世紀後半における政権抗争-
173 2002年10月 日向の政治集団とヤマト政権-四世紀末の内乱と神武伝説に関連して-
177 2003年2月 継体天皇 -謎につつまれた即位事情を探る-
179 2003年4月 神武伝説の形成
185 2003年9月 葛城氏とヤマト政権
191 2004年2月 天之日矛伝説の謎を探る(上)-天之日矛と〝河内大王家〟の成立-
192 2004年3月 天之日矛伝説の謎を探る(下)-天之日矛と〝河内大王家〟の成立-
199 2004年10月 茨田氏と大和川(上)-安堂遺跡・津積郷・津積駅家に関連して-
200 2004年11月 茨田氏と大和川(下)-安堂遺跡・津積郷・津積駅家に関連して-
204 2005年3月 武内宿禰伝説の形成(1)-伝承荷担者の問題を中心にして-
205 2005年4月 武内宿禰伝説の形成(2)-伝承荷担者の問題を中心にして-
207 2005年6月 武内宿禰伝説の形成(3)-伝承荷担者の問題を中心にして-
210 2005年9月 『魏志』倭人伝を読む(1)
211 2005年10月 『魏志』倭人伝を読む(2)
212 2005年11月 『魏志』倭人伝を読む(3-1)
213 2005年12月 『魏志』倭人伝を読む(3-2)
216 2006年3月 武内宿禰伝説の形成(4)-伝承荷担者の問題を中心にして-
217 2006年4月 武内宿禰伝説の形成(5)-伝承荷担者の問題を中心にして-
225 2006年12月 『魏志』倭人伝を読む(4)
226 2007年1月 『魏志』倭人伝を読む(5)-邪馬台国の所在地について-
228 2007年3月 『魏志』倭人伝を読む(6)-卑弥呼の鬼道と三角縁神獣鏡-
231 2007年5月 推古朝政治の実相-聖徳太子の「天皇事(みかどわざ)」とは何か-
241 2008年3月 継体天皇の出自とその即位事情を探る(上)
242 2008年4月 継体天皇の出自とその即位事情を探る(下)
249 2008年11月 鴨集団と4世紀末の争乱
252 2009年1月 巻頭言にかえて-高松塚古墳についての、ある一つの座談会記録-
253 2009年2月 百済王家の内紛とヤマト政権-四世紀末の争乱と関連して-
258 2009年7月 基調講演2 5世紀のヤマト政権と大王
261 2009年10月 5世紀のヤマト政権と日向
264 2010年1月 4・5世紀の丹波とヤマト政権
275 2010年12月 古代日本における聖婚と服属-神武伝説・コノハナサクヤビメ神話における成婚伝承の意味するもの-
289 2012年2月 佐紀盾列古墳群の謎をさぐる-大和北部と山城南部の政治勢力-
292 2012年5月 4・5世紀のヤマト政権と近江(上)-香坂王・忍熊王の反乱伝承を手がかりとして-
293 2012年6月 4・5世紀のヤマト政権と近江(下)-香坂王・忍熊王の反乱伝承を手がかりとして-
306 2013年7月 東大寺の盧舎那仏と河内国大県郡の知識寺(上)
307 2013年8月 東大寺の盧舎那仏と河内国大県郡の知識寺(下)
318 2014年7月 応神天皇と軽島の明宮・難波の大隅宮-佐紀政権から河内政権へ-
321 2014年10月 雄略天皇は「英雄王か」(上)
322 2014年11月 雄略天皇は「英雄王か」(中)
323 2014年12月 雄略天皇は「英雄王か」(下)
326 2015年3月 小山田遺跡についての2,3の憶測-覚書として-

242号以降は本ブログにて掲載されています(号数をクリックしてください)。
それ以前の論文は『つどい300号記念CD』に収録されています。詳しくは豊中歴史同好会までお問い合わせください。

河内大塚山古墳と安閑・欽明の並立(岸本直文先生)

つどい345号
大阪市立大学教授 岸本直文先生
①→画面をクリックすると大きくなります。
3451

3452

3453

3454

3455

3456

3457

3458

3459_2

34510

「崇峻天皇弑逆事件の真相を探る」(塚口義信先生)

11月度例会・市民講演会は11月5日(土)第1週です。

今月は蛍池公民館との共催事業で
会場は5階第一集会場です。

お間違えなきようお願いします。

会場   阪急蛍池駅前ルシオーレ5階 豊中市蛍池公民館第1集会場

13:00 受付開始 諸連絡

14:00 「崇峻天皇弑逆事件の真相を探る」

講師   堺女子短期大学名誉学長・名誉教授   塚口義信先生

2016111_2
20161118
20161119

■塚口義信先生『つどい』論文一覧

 発行月           タイトル
10 1989年8月 神武伝説と『日本書紀』の紀年
11 1989年9月 コノハナサクヤヒメ神話の意味
12 1989年10月 ヤマト政権の成立と王権の推移
13 1989年11月 河内大王家の成立
14 1989年12月 継体大王家の成立
15 1990年1月 蘇我氏は渡来系の豪族か
24 1990年10月 謎の人物茅渟王
27 1991年1月 竹原井離宮と智識寺行宮
36 1991年10月 顕宗・仁賢天皇は架空の人物か
37 1991年11月 『古事記』と天武天皇-『古事記』成立のナゾを探る-
50 1992年12月 ヤマト政権と近江-5世紀代における湖北の政治集団と大王-
51 1993年1月 応神天皇と気比大神
61 1993年10月 大化の新政府と終末期古墳-いわゆる「大化の薄葬令」と横口式石槨墳-
65 1994年1月  「河内王朝(政権)論」の再検討(1)
79 1995年3月 神武伝説解明への新視角
87 1995年10月 武烈天皇の虚像と実像-武烈天皇は日本一の暴君か-
90 1996年1月 神武伝説と物部氏-物部氏の前身の一族の実体を探る-
91 1996年1月 桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳の被葬者を探る
101 1996年10月 尼寺廃寺北遺跡(奈良県香芝市)-研究の現状と課題-
105 1997年2月 五色塚古墳の被葬者を探る
111 1997年8月 古代豪族葛城氏の勢力圏と〝葛城〟の範囲
114 1997年11月 ヤマト政権と平群氏-5、6世紀における平群氏の勢力-
117 1998年2月 いわゆる大化薄葬令の再検討
128 1999年1月 10周年記念の言葉 「疑問」は科学の母
129 1999年2月 初期ヤマト政権と椿井大塚古墳・黒塚古墳の被葬者
133 1999年6月 『古事記』をめぐる諸問題(1)
134 1999年7月 『古事記』をめぐる諸問題(2)
136 1999年9月 『古事記』をめぐる諸問題(3)
141 2000年2月 大化の新政府と古墳-終末期古墳の被葬者を解く鍵-
149 2000年10月 神功・応神伝承と母子神信仰
150 2000年11月 『つどい』第150号記念号の刊行を祝す
153 2001年2月  応神天皇と名がえの伝承-日本古代の成人儀礼-
162 2001年11月 6世紀後半における仏教と神祇信仰
165 2002年2月 聖徳太子登場前夜の政治情勢-六世紀後半における政権抗争-
173 2002年10月 日向の政治集団とヤマト政権-四世紀末の内乱と神武伝説に関連して-
177 2003年2月 継体天皇 -謎につつまれた即位事情を探る-
179 2003年4月 神武伝説の形成
185 2003年9月 葛城氏とヤマト政権
191 2004年2月 天之日矛伝説の謎を探る(上)-天之日矛と〝河内大王家〟の成立-
192 2004年3月 天之日矛伝説の謎を探る(下)-天之日矛と〝河内大王家〟の成立-
199 2004年10月 茨田氏と大和川(上)-安堂遺跡・津積郷・津積駅家に関連して-
200 2004年11月 茨田氏と大和川(下)-安堂遺跡・津積郷・津積駅家に関連して-
204 2005年3月 武内宿禰伝説の形成(1)-伝承荷担者の問題を中心にして-
205 2005年4月 武内宿禰伝説の形成(2)-伝承荷担者の問題を中心にして-
207 2005年6月 武内宿禰伝説の形成(3)-伝承荷担者の問題を中心にして-
210 2005年9月 『魏志』倭人伝を読む(1)
211 2005年10月 『魏志』倭人伝を読む(2)
212 2005年11月 『魏志』倭人伝を読む(3-1)
213 2005年12月 『魏志』倭人伝を読む(3-2)
216 2006年3月 武内宿禰伝説の形成(4)-伝承荷担者の問題を中心にして-
217 2006年4月 武内宿禰伝説の形成(5)-伝承荷担者の問題を中心にして-
225 2006年12月 『魏志』倭人伝を読む(4)
226 2007年1月 『魏志』倭人伝を読む(5)-邪馬台国の所在地について-
228 2007年3月 『魏志』倭人伝を読む(6)-卑弥呼の鬼道と三角縁神獣鏡-
231 2007年5月 推古朝政治の実相-聖徳太子の「天皇事(みかどわざ)」とは何か-
241 2008年3月 継体天皇の出自とその即位事情を探る(上)
242 2008年4月 継体天皇の出自とその即位事情を探る(下)
249 2008年11月 鴨集団と4世紀末の争乱
252 2009年1月 巻頭言にかえて-高松塚古墳についての、ある一つの座談会記録-
253 2009年2月 百済王家の内紛とヤマト政権-四世紀末の争乱と関連して-
258 2009年7月 基調講演2 5世紀のヤマト政権と大王
261 2009年10月 5世紀のヤマト政権と日向
264 2010年1月 4・5世紀の丹波とヤマト政権
275 2010年12月 古代日本における聖婚と服属-神武伝説・コノハナサクヤビメ神話における成婚伝承の意味するもの-
289 2012年2月 佐紀盾列古墳群の謎をさぐる-大和北部と山城南部の政治勢力-
292 2012年5月 4・5世紀のヤマト政権と近江(上)-香坂王・忍熊王の反乱伝承を手がかりとして-
293 2012年6月 4・5世紀のヤマト政権と近江(下)-香坂王・忍熊王の反乱伝承を手がかりとして-
306 2013年7月 東大寺の盧舎那仏と河内国大県郡の知識寺(上)
307 2013年8月 東大寺の盧舎那仏と河内国大県郡の知識寺(下)
318 2014年7月 応神天皇と軽島の明宮・難波の大隅宮-佐紀政権から河内政権へ-
321 2014年10月 雄略天皇は「英雄王か」(上)
322 2014年11月 雄略天皇は「英雄王か」(中)
323 2014年12月 雄略天皇は「英雄王か」(下)
326 2015年3月 小山田遺跡についての2,3の憶測-覚書として-

242号以降は本ブログにて掲載されています(号数をクリックしてください)。
それ以前の論文は『つどい300号記念CD』に収録されています。詳しくは豊中歴史同好会までお問い合わせください。

河内の古道(上遠野浩一先生)

つどい344号
河内の古道
上遠野浩一先生
大阪府立淀川工科高等学校 教諭・『古代史の海』編集長
①↓画面をクリックすると大きくなります。
3441


3442

3443

3444

3444_2

3446

3447

3448

3449

34410

34411

34412

34413

34414

34415

34416

34417_725x1024

34418

34419

34420

34421

34422

34423
34424

34425

34426

9/24(土) 古市古墳群西北部の古墳と寺社を訪ねる

161215_1024x768_2
161216_1024x768
161217_1024x768161218_1024x768
⑪→画面をクリックすると大きくなります。Tudoi34611

Tudoi34612

Tudoi34613

Tudoi34614

Tudoi34615

Tudoi34616

Tudoi34617

Tudoi34618
161219_1024x768
161220_1024x768
161221_1024x768
161222
161223_1024x768
161224_1024x768
161225_1024x768
161226_1024x768
161227_1024x768
161228_1024x768
161229
161230
161231
161232_1024x768
161233_1024x768
161234_1024x768
161235
161236_1024x768
161237_1024x768
161238_1024x768
161239161243
161244
161240
161241_1024x768_2
161242
161245
161246
161247
161248
=end=

高尾山古墳出土鏡とその意義(西川寿勝先生)

つどい343号
①→画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3431

Tudoi3432_2

Tudoi3433

Tudoi3434

Tudoi3435

Tudoi3436

Tudoi3437

Tudoi3438

Tudoi3439

Tudoi34310

Tudoi34311

6世紀の北九州とヤマト政権(宇野慎敏先生)

つどい342号

①画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3421

Tudoi3422

Tudoi3423

Tudoi3424

Tudoi3425

Tudoi3426

Tudoi3427

Tudoi3428

Tudoi3429

Tudoi34210

馬見丘陵公園と佐味田宝塚古墳を訪ねる

2016年5月の現地見学は、奈良県馬見古墳群の中央部に位置する馬見丘陵公園の古墳群と佐味田宝塚古墳を見学します。あわせて、河合町文化財展示室と二ノ谷遺跡も訪れる予定です。解説はいつものように、中司先生にお願いしております。

なお、巣山古墳・牧野古墳は前回見学から日が経っていないので、今回は割愛します(馬見古墳群南群とあわせ将来見学を計画いたします)。
Photo

1.日時 2016年(平成28年)5月28日(土)

2.集合場所、時間
第1集合場所  阪急梅田駅3階改札内 神戸線側売店前 【9時集合】
第2集合場所 近鉄田原本線池部駅改札前    【10時21分集合】
      参加者確認は河合町中央公民館ロビーで行います。

3.乗車予定
大阪駅9時14分発大和路快速加茂行き→9時55分JR王寺駅着
  (次発の大和路快速でも乗継可能ですが、安全のため一本前の電車としました)
近鉄新王寺駅10時14分発 田原本線西田原本行き→10時21分池部駅着
  (運賃 大阪~池部760円)

4.ルート
近鉄池部駅→河合町文化財展示室→馬見二ノ谷遺跡→池上古墳(遠望)→公園内で昼食→乙女山古墳→一本松古墳・倉塚古墳→ナガレ山古墳→佐味田宝塚古墳
→16時30分頃葛城台バス停 (五位堂または王寺行きのバスに乗車)

5.費用
レジュメ代を含め、会員は100円、会員外は600円。交通費は各自ご負担ください。なお、河合町文化財展示室は無料です。

6.昼食
馬見丘陵公園内で昼食予定。

『つどい』342号
画面をクリックすると大きくなります。

Tudoi34211_2

Tudoi34212

Tudoi34213

Tudoi34214

Tudoi34215

Tudoi34216

Tudoi34217

Tudoi34218
=end=

遺跡からみた雄略朝から継体朝のヤマト(坂靖先生 )

つどい341号
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
総括学芸員(講演時)現学芸課長 坂靖先生
①画面をクリックすると大きくなります。Tudoi3411

Tudoi3412

Tudoi3413

Tudoi3414

Tudoi3415

Tudoi3416

Tudoi3417

Tudoi3418
=end=

竜山・宝殿山遺跡を訪ねる

「石の宝殿(ほうでん)及び竜山(たつやま)石採石遺跡」ならびに周辺の史跡を訪ねました。

P1340442_667x1000_2
              石の宝殿(生石神社)の巨石

P1340563_1000x563_2
                    時光寺古墳

1.日時 2016年(平成28年)6月25日(土)
2.集合場所、時間
   【9時】          阪急梅田駅3階改札内 神戸線側売店前
  【10時16分】 JR山陽本線宝殿駅改札前

20160612
20160613_1000x750


⑫→画面をクリックすると大きくなります。Tudoi34312

Tudoi34313

Tudoi34314

Tudoi34315

Tudoi34316

Tudoi34317

Tudoi34318

Tudoi34319

Tudoi34320

滋賀県栗東市の史跡を訪ねる

1.日時 2016年(平成28年)4月23日(土)
2.ルート
JR手原駅前10時40分頃出発
JR手原駅→(手原遺跡・旧東海道交差部) →椿山古墳→総合運動公園(昼食) →地山古墳→岡遺跡(栗太郡衙跡)→下戸山古墳 →小槻大社・小槻大社古墳群→和田古墳群(*) →JR手原駅16時半ころ解散
3.費用 会員は100円、会員外は600円。交通費は各自ご負担

見学ルート
20160410_1000x750
見学記『つどい』341号記事は最後に掲載しています。
48
50

手原駅は東海道線草津駅起点の草津線にあります。幸い、東海道線の栗東駅に行ってしまった人はいませんでした。たぶん、いなかったと思います。

52
手原駅の駅前に「手原遺跡」があります。白鳳時代から平安時代初期にかけての遺構や鎌倉時代にかけての掘立柱建物のあとが検出されています。古代の中心地のひとつであったようです。
53_2
もう少し南に行くと手原稲荷があります。神社の北を東西に走る道が旧東海道です。ここから一里西には有名な草津宿があります。今回、草津宿まで歩こうかと一時は考えましたが、歩行距離が数キロ伸びそうなのでやめました。
54_2
稲荷神社の前には、江戸時代に有名になった栗田八景をうたった七言絶句の一つ「手原行人」の句碑があります。また手孕み伝説にちなむと思われる手のひら型ベンチもあります。
55_2
56_2

栗東市役所の南にある椿山古墳です。全長98m、5世紀初頭の築造だということです。この墳丘の頂上で、椿山古墳に加え消滅した大塚越古墳、新開1,2号、狐塚3号墳の解説をしていただきました。斜面の上で数十分間話を聞いているとさすがに疲れました。別のところでお願いすればよかったと反省しています。
57_2
墳丘の上からは三上山はくっきりと見えます。       

58

総合運動公園で昼食をとりました。天気が良すぎて、日影を探すのに苦労しました。公園の出口に狐塚遺跡の碑が立っています。遺跡の範囲は結構広いようです。

59  

運動公園を出て北に向かうと、手原稲荷と草津宿の間の旧東海道に突き当たります。左上の写真がシーボルトがおとずれた善性寺ぜんしょうじです。ここの住職と植物学の話をしたそうです。

まっすぐ行くと天井川となっている金勝川のものすごく高い堤防に突き当たります。

中世以前はまっすぐ栗太郡衙のほうに向かっていたのではないかと思います。江戸時代からは金勝川(こんぜがわ)の高い堤防に沿って、街道が湾曲しています。写真では風情があるように見えますが、実際は交通量が多く歩くには注意が必要です。

60

61

先ほどの天井川の内側にある地山古墳です。全長約90mの帆立貝形古墳ですが、前方部は田んぼの中に埋まっており円墳にしか見えません。周濠も田んぼの中に埋まっているそうです。

62

63

地山古墳の前です。そろそろマムシの季節なので、皆古墳から離れ気味に立っています。   

64
岡遺跡に行く途中に岡村城址の説明板が立っています。足利尊氏に属した宇野氏の城です。当時はここで東海道の監視をしていたようです。今の地形から見ると、ここを東海道が通っていたとは、信じられません。65

岡村城址の近くにある岡遺跡です。7世紀後半から郡衙の前身である評衙があったとみられています。栗太郡衙としての最盛期は8世紀で、8世紀末から9世紀末にかけて縮小していったようです。
66
 
名神高速の南の墓地の中に下戸山古墳が有ります。4世紀後半の直径55mの円墳です。

67  
ここで北谷11号墳の解説もしていただきました。もっとも、この位置からでは北谷11号墳のあった位置は見えませんでした。その代り、蕨がたくさんあったようで、古墳より蕨という人が何人かいました。

68

式内小槻大社です。69   

70

現社殿は1519年に建立されたもの。一間社としては大きいしきれいです。今回の参加者には小槻大社の氏子さんまでおられ話が盛り上がりました。

71
小槻大社古墳群の説明板は立派だが、見るべきほどのものは無かったようです。

72

最後に見学した和田古墳群です。6世紀中葉から7世紀前半頃までの9基の横穴式石室をもつ円墳から成り立っています。数年前から出土品文化財センターが非公開となっており、当日は休日でもあったので、塀の外から眺める覚悟をしていきました。幸い門の鍵が開いており、すぐそばで見ることができました。

73  

74

75
手原駅に戻ってきました。皆さん疲労困憊の様子でしたが、一時間に二本しかない電車にちょうど間に合いました。
本日の歩行距離は、3月よりやや長く7.8Kmでした。


つどい341号
⑨画面をクリックすると大きくなります
Tudoi3419

Tudoi34110


Tudoi34111

Tudoi34112

Tudoi34113

Tudoi34114

Tudoi34115

Tudoi34116

Tudoi34117

Tudoi34118

豊受大神宮の鎮座とその意義-5世紀末のヤマト政権と丹後-(荊木美行先生)

つどい340号
皇學館大学研究開発センター 副センター長
荊木美行先生
①画面をクリックすると拡大します↓
3401

3402_3

3403

3404

3405

3406

3407

3408

3409

34010

34011

34012_2
=end=

安倍文殊院・メスリ山古墳周辺の史跡を訪ねる

奈良県桜井市にある初期ヤマト政権の大王墓級の古墳として著名なメスリ山古墳をはじめ、安倍文殊院(西古墳・東古墳)および周辺の安倍寺跡、谷首古墳、上之宮遺跡、艸墓古墳などを見学しました。解説は中司先生です。

桜井駅前10:30出発→若櫻神社→土舞台→安倍文殊院(西古墳・東古墳)
→安倍史跡公園(安倍寺跡):昼食 →谷首古墳→コロコロ山古墳(移設)
→メスリ山古墳(墳頂)→上之宮遺跡→艸墓古墳→近鉄桜井駅16時頃解散
160311
⑬画面をクリックすると拡大します↓
34013

34014

34015

34016

34017

34018

34019

34020


19160311

今回のルートは

桜井駅を出発し、若櫻神社、土舞台、安倍文殊院、安倍寺跡、谷首古墳、コロコロ山古墳、メスリ山古墳、上之宮遺跡、艸墓古墳を回って、桜井駅に戻るコースです。今回の目玉は大王墓級の前期古墳であるメスリ山古墳です。

メスリ山古墳以外の古墳は6世紀末から7世紀初め頃の横穴式石室を持つ古墳ばかりです。

 21

最初は式内若桜神社です。

見かけはぱっとしませんが、奥に式内社2坐の本殿が並んでいます。

東側はもともとの若櫻神社で若桜部朝臣や安倍朝臣の祖である伊波我加利命(いわがかりのみことを祀っています。西側には名神大社の高屋安倍神社です。元は文殊院の東にあったものが江戸時代に山崩れに会い、こちらに遷座したものです。大彦命も祀られています。

22若桜神社は履中天皇の稚櫻宮跡だといわれています。磐余池で舟遊びをしているときに季節外れの桜の花びらが落ちてきて、それで宮の名前を稚櫻宮とした言う伝説があります。それにちなんで桜を植えた桜の井というものも一応あります。中司先生は、磐余池に近い池内の稚櫻神社のほうが、稚櫻宮ではないかというご意見でした。

当日はソメイヨシノはまだちらほらでしたが、しっかり咲いている種類もあり、春らしい一日でした。

23

若桜神社から少し南に下り、桜井小学校の手前で西側の丘に登りました。ここには、南北朝時代や戦国時代にあった安倍山城跡(あべやまじょうあと)と聖徳太子が建てたという、土舞台の跡があります。日本最初の演劇研究所といわれています。遺構は何も残っておらず、息を切らして登った先が、説明板だけだったのでやや不評でした。

24

安倍文殊院です。日本三文殊の一つです。他の二つは天橋立の智恩寺の「切戸(きれと)の文殊」、またの名を「九世戸(くせと)の文殊」山形県高畠町の大聖寺の「亀岡の文殊」です。

境内には安倍の晴明が修行したという場所もあり晴明堂も建てられています。写真は天文観測の地です。

25

文殊院境内では、最初に文殊院東古墳を見学しました。こちらは西古墳ほど有名ではありません。中に井戸が掘ってあることから別名閼伽井。信仰の場であり、中には入れません。

26

文殊院西古墳です。大化5年になくなった安倍倉梯麻呂またの名内麻呂の墓とみてほぼ間違いないとのことです。磨き上げた花崗岩の切石を積んだ両袖式の横穴式石室です。

27

飛鳥の岩屋山古墳の石室もきれいですが、こちらは一段と美しく感じます。

天井は薄いかまぼこ状に彫りこまれています。一部漆喰も残っています。

28

浮御堂を背景に記念撮影。

29

安倍寺跡は文殊院の南西にあります。建立の時期は山田寺と同時期で、法隆寺方式。ただし、金堂と塔の間隔が大変広くなっています。講堂の位置については未確認のようです。平安時代末の東大寺要録によると、安倍寺は崇敬(すうけい)寺のことで、安倍の倉梯麻呂建立と伝えています。鎌倉時代に今の文殊院の位置に移転したようです。

広い境内で昼食としました。座る場所は基壇の部分しかありません。

史跡公園の北西に安倍寺瓦窯が保存されています。

30
31

花をバックに記念撮影。花は後ろに隠れています。

32

安倍文殊院の南方に谷首古墳が有ります。

35m×38mの方墳で墳丘の西半分には神社が鎮座しています。

入り口の天井石が半分落ちています。

33

中に潜り込むと、石室は巨大です。玄室の高さ4mあります。安倍氏の族長の墓だろうということです。

34

メスリ山古墳の横にあるコロコロ山古墳です。すぐ近くからこの地に移築されたものです。

柵があり鍵がついていたので入れないと思ったら、扉があき入れました。壁を見てると違和感はなかったのですが、天井を見たらコンクリート製でした。

35

本日の目玉のメスリ山古墳です。4世紀中葉から後半代の前期古墳で、全長224m、後円部3段、前方部2段の前方後円墳です。白石太一郎先生は桜井茶臼山古墳とともに大王の墓と言っておられます。

塚口義信先生はこれと違い、被葬者は桜井茶臼山古墳がオオビコ命

メスリ山古墳はオオビコの命の子の建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)であるとした。

その理由は築造時期、副葬品の武人的性質とともにオオビコの命の末裔である阿倍氏勢力基盤がある地域に所在すること。特にメスリ山のある高田という地名は安倍氏の比賣(ひめ)「高田媛」ともつながるなどです。

中司先生も、大王であれば、前方部も三段築成であるべきと言っておられます。

以上のことは塚口先生の本に載っています。

なお、近々塚口先生の一般向け書籍が出版される予定です。そのなかにもメスリ山古墳や桜井茶臼山古墳のことが書いてあるようですから、ご期待ください。

36
37

メスリ山古墳は後円部の石室及び上部の方形区画が非常に有名です。この絵のように、方形の基壇があり周囲を巨大な埴輪が取り囲んでいたそうです。石室は竪穴式石室で三角縁神獣鏡などの鏡や刀剣、石製品があり、東側に副葬品専用の副室が設けられているのが特異です。副室には多数の武器、農工具などが埋葬されていました。

38

以前の現地見学では墳丘の下から見学でしたが、今回は後円部の上まで登りました。登りは急な傾斜で皆さん苦労されたと思います。下りは南の神社のほうにおりました。写真の、解説を聞いている位置は後円部の上、石室の東側、副室のあたりです。右手のくぼんだ場所は主室の部分です。天井石が見えます。

39

後円部の方形区画にあった埴輪はいずれも巨大です。もっとも大きいものは胴の径が90cmで高さが2.4mです。本当は横にジャイアント馬場の写真を並べたかったのですが、著作権の問題を生じるといけないので、私の写真を貼り付けました。

40

メスリ山古墳から出土した遺物の一部です。主室からは三角縁神獣鏡や内行花文鏡の破片、椅子形ほかの石製品が、副室からは玉杖、無数の銅鏃や刀剣などの武器、農工具が出土しています。たしかに四道将軍の墓とするとふさわしい感じがします。

この中で椅子状の石製品は京都国立博物館にあったものとメスリ山出土の破片が接合できたということで話題になったようです。また、すべて鉄でできた弓矢は、常陸の国風土記に記載はあるが、現物が出土したのは唯一とのことです。

41

上之宮遺跡です。6世紀末葉には宮殿となっていたようです。聖徳太子が斑鳩に移る前の宮殿といわれています。広い遺跡ですが、復元された苑池遺構を除いて、すべて住宅地となっています。説明板の絵を見ると宮殿というにはつつましい感じがします。これが復元された苑池遺構です。

42

44

民家の裏、溝の縁をつま先立ちで歩いていくと、急に目の前が開け艸墓古墳が現れます。

こんなに広かったかなと感じました。昔は平らなところがなかったような気もしたが

世紀第3四半期頃の方墳です。

45

はば2.8mの玄室に身の部分で1.5mの幅をもつ家形石棺が置かれています。羨道の幅は2mなのでどのようにして入れたのか議論があるそうです。石室は巨石で作られていて、接合点に三角の石をはめ込み、漆喰が充填してあります。

46

16時前、予定時間きっかりとJR桜井駅の南口につきました。本日の地図上の距離は6.5Km私の万歩計は1万1千歩。距離は短かったが、皆さんかなりお疲れの様子。やはり土舞台はパスすべきだったかもしれません。

 

いずれにしてもお疲れ様でした。

山背の古道(中村修先生)

つどい339号
『古代史の海』編集顧問 中村修先生

①画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3391


Tudoi3392_3




Tudoi3393_2




Tudoi3394_2




Tudoi3395_2




Tudoi3396_2




Tudoi3397_2

Tudoi3398_3



Tudoi3399_2

Tudoi33910_3


Tudoi33911_708x1000_2


Tudoi33912_2


Tudoi33913_3



 

古墳研究の進展と停滞 後編その一(中司照世先生)

つどい338号

①画面をクリックすると大きくなります。
Tudoi3381

Tudoi3382

Tudoi3383

Tudoi3384

Tudoi3385

Tudoi3386

Tudoi3387

Tudoi3388_2

Tudoi3389

Tudoi33810

Tudoi33811_3

Tudoi33812

Tudoi33813

Tudoi33814_2

Tudoi33815

中司照世先生『つどい』バックナンバー
数字(号数)をクリックenterすると閲覧できます。

312 古墳研究の進展と停滞(前編)
302 考古学から見た4・5世紀のヤマト政権と吉備(後篇ーその2)
300 考古学から見た4・5世紀のヤマト政権と吉備(後篇ーその1)
297 考古学から見た4・5世紀のヤマト政権と吉備(前篇)―吉備の動静に言及する前に―
277 考古学から見た3~5世紀の近江
260 5世紀のヤマト政権とコシ(越)
254 5世紀のヤマト政権と若狭

下記については「つどい300号記念CD」に収録されています。
事務局までお問い合わせください。
239 尾張の古墳と継体・安閑・宣化天皇
174 コシ(越)の政治集団とヤマト政権-在地豪族と対外交流-

«宇治市の史跡を訪ねる